自由な個が作り出す全体のユーフォリアに向けて ー Wake Up, Girls! FINAL LIVE「想い出のパレード」を前に見下ろす無粋なる論考

 2月24日WUGファイナルツアー千秋楽日、仙台昼夜公演に参加した。昼公演のアンコールMCでは、メンバーから残り1回という現実に心定まらぬ思いが吐露されていた。だから夜公演ではどんな悲しみの感情が溢れ出ることになるのだろうと、ハラハラする思いで迎えたのだが、しかし、最後だからこそ全身全霊をぶつけたWUGちゃんたちのパフォーマンスと、それに応えるワグナーの声援によって、これ以上ないほど熱く楽しく清々しいツアーラストになった。これで恐れることなく3月8日SSAでのファイナルステージ「想い出のパレード」へ向かえると、仙台サンプラザホールを後にしながら、そう強く思った。

 

 そしてこのまま振り返らずに、まっすぐSSAへ向かうのもよいだろう。いや、きっとそのほうがいい。分かっている。

 

 だがSSAを迎える前に、ツアーを通じて見たものを言語化しておく必要も私の中にある。それはツアー全体の空気を全身に浴びてきたままの言葉ではなく、俯瞰した視点からのものだ。それは文字通り「上から目線」であり、内側にいる者にとっては極めて無粋で、人によっては非常に不愉快なものになる。しかしSSAを前に、やはり自分が今いる状況が何なのかを、見下ろして確かめたいのである。

 なので、ストレートな共感を求めてこのブログ記事を開いたワグナー諸氏には、読み進めることをあまりお勧めない。更にいつも以上に長くなる。しかも前置きが馬鹿みたいに長い。そのことも先にお断りしておく。

 

 

 ドイツのハイデルベルクに留学時代のある晴れた夏休みの日、ネッカー川を挟んだ街の対岸からオーデンヴァルト(オーデンの森)のハイキング路を登った。行き先は決まっていた。これは一つの試みだったので、実は答えも予測していた。小一時間、木々の香りに満ちた空気を吸いつつ、汗を拭いながら、ただ無心に登り続ける。そして辿り着いた場所に広がる景色に、私は予測どおり圧倒される感覚を覚えた。そこに広がるのは古代ギリシャの円形競技場の如き野外アリーナである。しかしこれは古代ギリシャやローマの遺跡ではない。たかだか80年前のナチ時代に造られた代物だ。

 かつて19世紀後半のドイツに起こり、20世紀初期に広く広まったワンダーフォーゲル運動は、自然主義を掲げ、森を仲間たちと共に汗を拭って歩き、そこに生まれる一体感を賛美した。共に目的地に辿り着いたときの達成感と一体感は、脆弱で不安な個人を乗り越えた「同胞」という一有機体へと昇華させるのである。しかしワンダーフォーゲルの思想は、ナチズムとも親和性を生み出し、やがてそこに吸収されていく者も多かった。

 オーデンヴァルトの野外アリーナに辿り着き、目の当たりにした圧倒感を抱えて、その瞬間の自分をナチ時代にタイムスリップさせてみる。そこには、同じく汗を拭って辿り着いた多くの人々がアリーナを埋め尽くす光景が広がり、ステージの中央へ颯爽と進み出る指導者の姿が目に浮かぶ。そして拳を振るい上げて熱く叫ぶ彼の演説に、昂揚した人々は一つになって喝采を送るのである。

 

 さて、お前は一体なんの話をしているのだとお思いだろう。まさかWUGちゃんがヒトラーだとでも言いたいのかと、お怒りの方もいるかもしれない。無論そんなことは露とも考えていない。如何なる差別も破壊も口にしていないWUGちゃんがヒトラーなわけがないだろ。愚問だ。

 だが、昂揚と一体感が、全体主義を生み出す原子であるとは考えている。それは野球やサッカーの応援やライブにも見出すことが出来る。これは別にWUGのライブを通じて思いついたことではなく、それ以前からの私の持論だ。つまり私は、最初からこの全体主義的構造に巻き込まれることを分かった上で、ライブに参加していたのである。

 

 アニオタが想像しやすい映像としては、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」の人類補完計画のシーンを思い浮かべるといい。初号機を依代とし、ATフィールドを失った人々がLCLの海へと還元され、個を失って一つになっていく。それはカリスマ的指導者を頂点とし、人々が共同体を一つの有機体として構成する細胞の一つとなっていくことと重なる。人類補完計画とは全体主義のことだと私は解釈している。

 デカルト以降、人間の理性による「個人」という概念が確立され、宗教的、職能的社会において良くも悪くも所与の身分の中で生きてきた人々は、個人として自ら考え選択し行動する「自由」を獲得した。だがそれは同時に、安定した所与の身分を失ったことも意味し、寄る辺ない脆弱な個人として、不安と絶望を抱えながら放り出されてしまったことにもなる。それゆえにカリスマが指導する共同体へと自ら自身を委ね、自由を放棄し、ドイツではナチ政権という全体主義国家を生み出した。そのような人々の心理を、社会心理学エーリヒ・フロムは「自由からの逃走」と名付けた。

 だが、肝心のカリスマであるヒトラーは、イアン・カーショーの研究によれば、扇動家としては非凡な才能を持っていたものの、支配者としては自ら決断できない弱い男であった。それゆえ、ヒトラーという虚像の期待を推し量り応えようと「総統のために働く者たち」によって、合法的支配は崩れ、「カリスマ支配」というものが暴走していくのである。

 

 このようなヒトラーとナチズムの話が、WUGのライブにそのまま当てはまるとはもちろん考えていない。ただ大枠として、そのような構造に陥るギリギリのところを、WUGに限らず、多くのライブ現場では、無意識のうちに体感していると思われる。

 

 スポーツでは、ファンの声援によって、奮起したプレイヤーのファインプレイが生み出されることがある。だが、プレイヤーとファンが試合中に直接交わることはなく、プレイヤーは常に全体の依代としてのカリスマ的存在性を維持し、一体感を作る一細胞としてのファンからは独立している。それゆえに時としてカリスマの意向を離れ、「総統のために働く者たち」の暴走が起こる。

 アイドルやロックコンサートでは、曲中のコール、コール&レスポンスを通じて、アーティストとファンが直接交わる一体的空間が作り出される。しかし単発のライブとして見た場合、基本的にはアーティスト側がカリスマ的存在として全体の空気を支配し、主導していくことになる。もちろんアーティスト側がファンの声援に感化されて、パフォーマンスの熱量を更に高めることはあるが、最終的に場を支配するのはアーティスト側だと言ってよい。

 

 さて、ようやくWUGの話に入ろう。

 

 WUGの場合もまた、一公演だけを切り出して見た場合、最終的な場の支配者はWUGちゃんだ。少なくとも全体の依代であることは変わらない。だがWUGのライブは、一公演を単体として容易に切り出すことが出来ない。一公演ごとに強烈な個性は持つものの、それはこれまでに積み重ねられたものによって、その瞬間の独自性が生み出されるからだ。

 他のアーティストのライブをツアーとして体験したことがないので、安易なことは言えないが、そもそもツアーというものは、建前としては、アーティストがその土地土地に出向き、そこだけに集うファンのためにパフォーマンスを見せるものだろう。それゆえに、どの土地でも変わらぬハイクオリティを提供するのがアーティストの役割だとも言える。しかし実際には「ライブ」という言葉の如く生モノで、各公演ごとに違いは生まれる。

 だが少なくともWUGに関しては、ただ単に違いが出るのではなく、公演ごとにライブが成長、あるいは進化する。それは今回のファイナルツアーに限ったことではなく、私が体感する限り、自分が初めて複数会場に参加した2ndツアーからそうであった。ただファイナルツアーに関しては、その進化の濃度(速度というより濃度)がそれ以前の比ではなかった。

 もっとも、そのような強い濃度の高まりは、4thツアーからあったと思う。それは「TUNAGO」というコンセプトを基に、アニメ旧章と新章、自分と故郷(東北)、そしてWUGちゃんとワグナーもつながろうというライブ演出を試みていたからだ。曲「TUNAGO」の振り付けを会場全員でやろうと、前もって見本動画も上げていた。「ワグ・ズーズー」も皆で振りを合わせる曲だが、あれは恐らく彼女たちの考えより先に、スタッフがライブ演出として用意したものだろう(それが悪いというわけではない)。しかし4thでは演出作りに彼女たち自身が多く関わっており、「TUNAGO」はあいちゃん自身が振り付けしたものとしても、彼女たち自身によるワグナーとの主体的なつながりが打ち出されていた。その結果、初日から千秋楽まで、コールやサイリウムの変化を含む統一感の進化が非常に強く感じられたツアーとなった。

 

 そもそも声優ユニットWUGは、山本寛監督の名を全面に掲げた初期アニメが様々な批判や中傷を受ける中、いわば最初から逆境に立たされるスタートを強いられていた。私も作品造りや山本氏の言動には多く批判的意見を持つが、彼が打ち出した作品コンセプトには共感しており、それこそが作品を越えた現在のWUGという現象を生み出す源になったと思っている。そして何より彼女たちが作品の思想を全身で背負っていったため、当初は「ヤマカンのWUG」であったものが、彼の思惑や存在そのものを遥かに越え、「声優ユニットWUG」こそがWUGそのものとなっていった。

 当初のWUGは、山本氏をカリスマとし、声優ユニットWUGは彼の周りを華やかに飾るための巫女のような存在として設置されたとも言えよう。しかし共感よりも反発を招き続けた彼の(敢えていう)独善的すぎる個性は、結果として自らの失権へとつながった。残念ながら彼には扇動家としての才能も足りなかったのである。

 では、声優ユニットWUGは彼の失権の穴埋めのようにカリスマの地位に就いたのかというと、決してそうではない。実は最初から彼女たちが「WUG」という場のカリスマだった。ただ多くの人がそのことに気づいていなかっただけだ。山本氏は確かに仕掛け人ではあったが、彼は丹下社長に徹すべきだったのである。なのに彼は、仕掛け人丹下のまま、絡んできた当初の早坂になろうとしていたように思う。つまり、自分が声優ユニットを含めたWUGというコンテンツを動かせると思っていたのだろう。だが彼自身が作中で描いたように、早坂のほうが次第にユニットWUGに動かされていき、山本氏の手を離れた新章最終回で「アイドル界を変えるのは、Vドルでも僕でも、あなたでもない。」とまで言わしめるのである。

 

 しかしてワグナーは…。デビュー当初まだ「おいもちゃん」だったWUGに原石としての光を感じ、私のように、取り巻く逆境の中でその光を消してはならないと思った者も多かったろう。もちろんそれを「ヤマカンが灯した光」と捉え、支えた者も多かった。だから、初期ワグナーのうち、やがてWUGから離れていった者が多いことも知っている。

 しかしその一方、旧章TVシリーズ終了後、個々の活動をユニット活動と平行して開始したメンバーたちが、少しずつ新たなファンを生み出していった。新たなワグナーにとってWUGは、まず「推し」が所属するユニットであり、作品WUGはそんな彼女たちのデビュー作という位置付けだ。飽くまでツイッターを眺めていての印象だが、声優ユニットWUGを熱心に応援しつつ、作品旧章を好意的に評価し周りに勧めているのは、後からのワグナーに多い気がする。もちろん母数が増えたことで、そういうワグナーのほうが目に入るようになっただけかもしれない。ただ彼らのほうが、旧章TVシリーズからの「古参」が持つスティグマがない分、応援する姿が純粋に見える。

 

 スティグマというなら、実はWUGメンバーたちのほうがはるかに強く刻印されているのかもしれない。デビューした瞬間から「ハイパーリンク」という言葉で自己とキャラクターを結び付けられていたのだから、そうであってもおかしくない。しかし彼女たちは作品を担うことをやめなかった。確かにキャラクターとの軛に悩む姿もあった(かやたんはその点をはっきり語っている)。だが「3つの幸せ」「アイドルである前に人間」といった思想、そして震災復興を支援し、東北に元気を届け、東北の素晴らしさを全国に届けるというミッションに対し、「真摯であること、正直であること、一生懸命であること」であり続けた。そのことは、冷めた客観的視点で眺めたとしても、誰も否定出来ないだろう。結果としてそれが、作中の台詞どおりに「WUGらしさ」となった。結局、作品を巡るいざこざに結びつけてユニットWUGを見下す言説はあったとしても、メンバー自身の言葉や活動を否定的に扱われることはないに等しかったのではないだろうか。

 また、WUGちゃんはラジオやインターネット番組では、お互い子供のように戯れあって、その平和な姿に見る者へと幸せを感じさせる。ワグナーは彼女たちの姿の向こうに幸せのイデアを見ているのだろう。

 お互いまだ知らぬ若い女子が7人も集まれば、誰と誰が気に入らないとか、派閥が出来たりしてもおかしくはない。最初から打ち解けあってたわけではないと、当人たちもよく口にしている。それでも彼女たちは、そこで誰かを遠ざけたり排除しようとはしなかった。メンバーの入れ替わりが当たり前の昨今のアイドル界隈で、WUGは誰一人欠けることなく6年間活動してきた。それは一人ひとりがお互いの違いを認め合う努力をしてきたからだ。そうして彼女たちは、作品を担った活動とも重なり、ワグナーに幸せのイデアを見せる存在として象徴化されていく。そしてそこに、「HOME」のような安心感を見出させるのである。

 

 昨年6月15日、突然声優ユニットWUGの解散が発表された。ワグナーはまさに「HOME」が失われるショックに襲われたはずだ。だが、その発表直後に告知されたファイナルツアーのタイトルが「HOME」であった。そして7月14日の市原公演から始まったツアーは、とてつもない濃度で進化することになったのである。

 解散のショックを抱え、ワグナーたちはどういう心持ちで臨んでよいか分からぬままツアー初日を迎えた。しかし「SHIFT」で始まったライブは、一瞬でそのショックを吹き飛ばす。しかもWUGちゃんたちは客席に降りてきて、会場のボルテージは最初から最高潮に達した。とりわけ関東圏から始まったツアーPart 1は、ほぼファンクラブ会員のみで客席が埋められ、後からワグナー以外が一般チケットで入り込む余地が殆どなかったため、そこは完全にWUGちゃんとワグナーたちだけのホームパーティと化した。WUGちゃんが客席に来ても問題ないと演出側が判断したのは、絶対トラブルが起きないというワグナーへの信頼の証で、実際に最終の仙台までその信頼関係が壊れることはなかったのである。

 進化の象徴としては「Polaris」が挙げられるだろう。ツアー前にこの曲が披露されたのは、昨年4月1日のバスツアーライブと、5月12日のグリーンリーヴスフェス、そして6月の舞台「青葉の軌跡」だけだ。初回のバスツアーライブ(私は不参加)はわぐらぶ会員だけとはいえ、アニメと合わせてペンライトを白くする以外、特別な形はなかっただろう。その後の2回も変化を作り出すイベントではなかった。それがツアーに入ると、いつの間にかまゆしぃのソロパートだけ赤に変えるという流れが出来た。その後はまた白に戻していたのだが、いつの間にか推し色にする形に変化する。更に終盤には観客同士が肩を組んで、会場全体で歌うようになるのである。

 もちろんそこには、きっかけとなった誰かの行動があり、またツイッター上でアイデアを出して賛同を呼びかけるものもあった。しかし最初は飽くまで少数派の動きで、それが公演を繰り返すごとに賛同を得て、広がっていくのである。

 一方、昔からWUGのライブでは、(私はまったく詳しくないのだが)「イエッタイガー」だとか「ジャージャー」だとかいった、どこのアイドル現場でも汎用的に使える定番コールがまったく定着しない。たまに一部の観客がやることはあったが、誰もそれに続かないのだ。つまりWUGのライブでは、使いまわし出来るような応援は望まれず、そこだけにしかない空気が作り出されてきた。

 そして何よりWUGちゃんが、そのように創出され広がっていくワグナーの声援を受け入れ、それに反応し、更に促していったことが進化の濃度を高めた。分かりやすいところでは「ハートライン」のまゆしぃとよっぴーの掛け合いパートが挙げられる。この場面でそれぞれがソロで歌うとき、会場が「まーゆしぃ!まーゆしぃ!」「よーっぴー!よーっぴー!」と叫ぶのである。実は私はこのコールが好きではない。彼女たちの渾身のソロ歌唱が聞こえなくなるからだ。だが二人はこの形式を受け入れて逆手に取り、ななみんの故郷凱旋となった徳島公演では、ダンスフォーメーションを無視して彼女をセンターに連れてきた。そしてその意図を瞬時に理解したワグナーたちが、コールを「なーなみん!」なーなみん!」に変えたのである。それは仙台初日のあいちゃんに対しても行われたようだ。そして千秋楽、ついに7人がそのパートでセンターに集まって歌い出し、自ずとコールは「わーぐちゃん!わーぐちゃん!」になった。そこで私も観念し、一緒にコールを叫んだのである。そしてその一体感に言いしれぬ昂揚感を覚えたのだ。

 WUGとワグナーは、WUGちゃんを場の依代としながらも、単なるコール&レスポンスを越えた高次の共存関係を築き、昂揚した意識が重なり合って、一有機体の如き一体的状況を作り上げた。全体がそこに居場所を見出し「HOME」としたのである。とりわけ仙台千秋楽ではダブルアンコールが起こり、予定外にその場で決められた「7 Girls War」が歌われることになったのだが、そこでWUGちゃんたちは、もはやダンスフォーメーションを無視して、むしろ熟成されたワグナーのコールに合わせて自由に動き回る。そしてまゆしぃとよっぴーの掛け合いソロのとき、「ハートライン」のときのように7人がセンターに集まり、全員で歌い始めた。するとここではもはやコールではなく、会場も一緒になって歌い始めたのだ。ここに申し合わせなど一つもない。自然発生的に、自発的に、ワグナーとWUGちゃんは一つの全体へと溶けていったのである。

 

 「ユーフォリア」とは、熱狂的陶酔感、強い多幸感を表す言葉だ。私はもともと「Euphorie(オイフォリー)」というドイツ語から知り、実はつい最近になってその綴りから「もしかしてよっぴーが関わってるコンテンツのタイトルってこれじゃね?」と気づいたのだが、この言葉はまさにこのときのライブの熱狂的状況を指している。このとき私は、過去に前例のないほど、このユーフォリアの中に巻き込まれていたのだ。

 WUGちゃんもワグナーも、終わりが提示されたあの時から、一公演一公演を後悔なく共に一体となるユーフォリアを求めて、互いの思いを表出し、賛同し、受け止め合って、ライブを進化させてきた。ライブの依代は間違いなくWUGちゃんである。彼女たちのこれまでにワグナーたちが共感し、彼女たちの中に幸せのイデアを見て、彼女たちにもこの瞬間の幸せを届けようとした。WUGちゃんたちもまた、逆境から始まった自分たちを応援してくれたワグナーたちに対し、全身全霊でこの瞬間の幸せを届けようとした。その結果が、このツアーの、そしてあの仙台千秋楽のとてつもないユーフォリアとなったのである。

 

 しかしここまで書いておきながら、その千秋楽について敢えて一つ水を挿す。

 「タチアガレ!」のよっぴーソロパートで、会場をブロックごとに色分けしたサイリウムを灯し、全体を虹色に染める演出が、一部ワグナーの企画で実行された。その光景にWUGちゃんたちは感動し、MCの時に求められて再現され、予定外の記念撮影も行われた。企画としては大成功である。WUGちゃんたちが幸せで、結果ワグナーみんなも幸せで最高じゃないかと。

 だが、このときのサイリウムは、そのワグナー有志たちによって開場と同時に全席に配られていた。準備には当然お金がかかっているし、そのような行為には、恐らく運営とも事前に話をつけておく必要があっただろう。勝手に全席に物を置かれては、セキュリティ的に問題があるからだ。

 入場口でも企画への参加の呼びかけがされ、席のサイリウムにはチラシも付いていた。そしてその呼びかけでもチラシにも「強制ではありません」ということが強調されていた。しかし強制ではなくても、そこにどれだけの自主性が残されていただろうか?

 実は徳島でも同様の企画がツイッター上で流れてきた。座席ブロックがちょうど縦7列に分かれていたため、アイデアとしては分かりやすかった。だが、飽くまで呼びかけだけだったため、いくつかの反対意見によってその声は萎んでいき、結局そのまま立ち消えとなってしまった。

 私としては悪い企画ではないと思ったため参加するつもりでいて、まず昼公演で4~5割が光を灯し、夜公演でそれに感化された者が7割にまで増えれば、十分虹色を演出できて成功だと思っていた。実際これまでワグナーたちは、そうやってライブの統一感を作ってきたからだ。

 しかし仙台千秋楽では、他人のお金で買われたサイリウムを、一方的に与えられてしまった。それを折るかどうかの最終判断はもちろん自分にあるのだが、やはり持参したペンライトの色を心から賛同して替えるのとは違う。たとえ虹色を演出するというアイデア自体には賛同しても、あたかも官製の企画の如く全員にサイリウムが配られてしまっていては、大勢はそれに流され、それに逆らうほうがはるかに勇気が必要となるのである。

 あれだけの企画を実行したことを、確かにそれだけの心意気として好意的に受け止めることも出来るだろう。WUGちゃんたちも喜んだのだから、結果オーライではないか。しかし、彼らはカリスマの期待を推し量り応えようとした「総統のために働く者たち」になってはいなかっただろうか?私は結局サイリウムを折った。周りの様子を見て、今はカリスマであるWUGちゃんが喜べばいいと思ったからだ。しかしそれは、意図的に全体を作ろうとした「総統のために働く者たち」に結果として判断を任せたことになり、自分の自主的な判断を放棄したことに等しい。つまり私は、自由から逃げてしまったのである。 

ひとつ みんなでひとつ 答えはひとつだね

 4thツアーで「7Senses」のこの歌詞を初めて聞いた時、全体主義の臭いを感じた人がいるかもしれない。私も一旦は眉をひそめた。 だが、「7つのセンス 7人の個性」が放棄されるわけではない。違う役目を持った自由な個が一つになるからすごい光になれ、そして「虹の向こうへ」も行けるのである。そう、約束の地へ。

 

 政治体制としての全体主義は、個人の自由を奪い、個人を共同体という有機体の一細胞にしてしまう。そして、昂揚と一体感がその細胞に与えられるとき、凶暴的なほどに破壊的な力を生み出してしまうことになる。だからこそ、全体主義には常に警戒し、それを否定していかねばならない。

 だがその昂揚と一体感が、とてつもない生命力を生み出すことも、私たちワグナーとWUGちゃんは経験した。だからこそ、自由から逃げてはいけないのだ。

 

 3月8日SSA。そこにはワグナーとは自称出来ない、ちょっと関心があるというだけの人たちも多く集まるであろう。そういう人たちにとって、WUGとワグナーが作り出す空間は、異様に見えるかもしれない。だが、私たちは自信を持っていいと思う。そこに生み出される昂揚と一体感は、とても素晴らしいものなのだと。だから最後の一回だけでも一緒になろうじゃないか、それが出来なくても、是非その目に焼き付けていってくれと願おう。

 私たちワグナーは、WUGちゃんと共に、自由な個として、最後の全体のユーフォリアを作り出そうではないか。

 そしてその想い出をリボンで「ありがとう」と包み、それぞれの明日へと歩み出そう。

存在だけで 美しいもの ー Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅲ KADODE~ 熊本公演

※ネタバレ含みます

  12月22日に開催されたPART II最終の横須賀公演はチケットがなく、私は参加できなかったのだが、そこでは3月8日さいたまスーパーアリーナSSA)でのラストステージが発表され、遂にゴールへの明確なカウントダウンが始まった。

 それにしてもSSAとは……

 ファンとしては、あのモンスターホールを満天の星空にするため、「小劇団のノルマ的なノリ」で、興味のありそうな知り合いに声をかけまくることになるわけで、まあなんとか数人連れていけそうだ。5年前の2月、ワンフェスのステージをニコ生で見て、「作品終了と同時にこの子たちを終わらせてはいけない。彼女たち自身や運営だけじゃない。ファンもまた試されてるんだ!」などと思って応援し始めたのだが、ホント、最後まで試されまくりだよw

 そんな中、年が明けて1月5日、熊本にてファイナルツアーPart IIIが幕を開けた。

 Part I、Part IIでは、それまでの印象を覆すような演出で、まだまだ進化する彼女たちを見せつけてくれた。と同時に、「HOME」というツアータイトルにふさわしく、岩手公演のように、故郷とのつながりを大事にした心打つ内容のステージもあった。

 そして今回の熊本公演だが、まゆしぃがブログで予告していたように、「原点回帰」という側面が打ち出されてた。個人的には、4thツアーのコンセプトを踏襲していると感じている。

 このブログでは完全に筆が止まっていて、4thツアーの感想を結局書いてなかったのだけど、ファイナルツアー以前の全てのライブの中で、実は4thの構成が私は一番好きだ。アニメ新章を控え、「TUNAGO」というテーマをしっかりと立てて、作品を旧作から新章へつなぐこと、そしてワグナーとのつながりが非常に強く意識されていた。

 ファイナルツアーでは、Part Iからワグナーとのつながりを強く打ち出していたが、Part IIIでは、WUGの様々な原点から、未来に向けて扉を開くためのつながりがとても感じられたのである。特に会場企画コーナー前のセトリは、昼夜曲の入れ替えがありながらも、2曲ずつセットで過去のそれぞれの時点を振り返る形を取り、ワグナーたちは各々がWUGにはまったきっかけの時期を思い返すことになったのではないだろうか。

 そして企画コーナー(後述)をはさみ、「16歳のアガペー」で推しへの愛を叫んだあと、新曲「言葉の結晶」が披露される。

 言葉の結晶 / Wake Up, Girls! - YouTube

 実に難しい曲なのだが、彼女たちが培ってきた実力と、ここに来てまた新たな可能性が存分に示されたといってよい。ただ、広川恵一さんが作ったこの難易度の高い曲調につい関心を奪われてしまうものの、ここでは只野菜摘さんが今の彼女たちのために書いた詞から思いを巡らせてみたい。会場で聞きコピできるわけではないので、上記YouTubeのワンコーラス分しか分からないが、そこにはもどかしさや拙さに苦しむ中から、「存在だけで美しいもの」を伝えようとする思いが描かれる。

 どこか、この日の主役、青山吉能に重なるものを感じないだろうか。

 もちろん只野さんはこの日のよっぴーのためだけにこの詞を書いたわけではなく、メンバー一人ひとり、そしてユニットWUGとしても、この歌詞から想起されるものはある。しかしYouTubeのワンコーラスを聞いて熊本公演を振り返ると、やはりそこにいるのはあの時のよっぴーなのだ。

 企画コーナーに移るとき、よっぴーの他にまゆしぃとななみんがステージに残る。結成からしばらく飛行機で東京に通っていた西日本組だ。笑いを交えながら当時の思い出を語り合ったあと、3人が披露したのは後輩ユニットRun Girls,Run!の「カケル×カケル」。

 “大好きだけが先走りしていた故郷の日々に別れを告げる
  そうだ だって私は一歩早くに子供時代とさよならした”

 まだ高校生だった3人が、毎週末飛行機に乗って東京へ向かい、全力で走っていたあの頃は、ランガちゃんたちのこのデビュー曲とも重なり合う。

 だが、まゆしぃとななみんが舞台から下がると、1学年年下のよっぴーが一人残される。故郷の日々に別れを告げるはずなのに、自分だけが故郷・熊本から離れられない。

 「この街が大嫌いだった」

 夜公演、ワグナーのために書いてきたという手紙で、彼女はそう告白する。2017年のソロイベでも、この頃のもどかしい自分を表現していた。彼女にはそこに逃れられない一つの原点があるからだ。

 ”あなたに 誰かに 聞いてほしいことがある
  思いの言葉の結晶” 「言葉の結晶」より

 彼女が読み上げた手紙は、まさに「思いの言葉の結晶」だ。一人故郷に残され、他のメンバーたちから遅れを取っていくことへの苛立ち。「私はなぜ熊本なんてところで生まれ育ってしまったのか」という理不尽な怒りを母にぶつけ、泣かせてしまったこと。そんな自分の弱さをもさらけ出す言葉は、「傷を削って透明に」なっていく。

 ”存在だけで 美しいもの”

 上京し、東京の雑踏に揉まれながら活動していく中で、やがて自分を生み育んでくれた故郷は、いつでも優しく、大切な存在となっていく。

 また、彼女にとって故郷とは熊本だけでなく、Wake Up, Girls!も「HOME」(故郷)であると語る。メンバーが、スタッフが、ワグナーが、そして演じたキャラクターも、彼女にとって「HOME」となる。しかしそれはまた、ワグナー一人ひとりにとっても、WUGを通じて出会ったもの全てが、共に分かち合う「HOME」になるのだ。

 手紙を読み終え、アカペラで歌い始めた歌は「わたしの樹」。2017年ソロイベで披露されたこの曲は、この日と同じく自分の弱さをさらけ出した上で、一つでも大切に願いを叶えていこうという、よっぴーの思いが込められている。これも只野さんによる作詞だ。

 歌い始めてすぐ、よっぴーは涙で声を詰まらせるが、しかし次のフレーズではしっかり声を取り戻す。そして最後のサビでは、残るメンバー6人がステージ上段に現れ、7人で一緒に力強く歌い上げた。東京で一人で歌った2年前のソロイベのときとはまた違う、故郷で自分をさらけ出して、そして仲間たちと一緒に歌う「わたしの樹」は、どこまでも透明で美しい。

 一人ではない今、よっぴー、あなたはその存在だけで、美しいです。

 7人が一旦ステージから下がると、スクリーンにメンバー一人ひとりからよっぴーへのメッセージが映し出される。およそ強いリーダーシップで引っ張っていくリーダーではなく、「へっぽこリーダー」扱いされていたよっぴーだけど、自分を隠さず素直に出せる彼女らしさが、結果としてメンバーみんなを安心させ、一つにまとめる存在になっていたのだなと改めて感じさせてくれる、愛のある言葉たちだった。

 そしてPart IIIの新衣装に着替えて現れたWUGちゃんたちが披露したのは、「HIGAWARI PRINCESS PRINCESS Yoshino Ver.」だ。一応ここまでが熊本限定企画コーナーってことなのだろう。いつもの「素敵なステッキ」ではなく、みんなパラソルを持ち、その中で一人ピンクのパラソルを持つプリンセスよっぴー。やはり彼女の満面の笑顔は可愛くて最高だ。

 その後「言葉の結晶」のあと2曲続き、本編の締めに歌われたのは「TUNAGO」。やはりこの点も4thツアーと同じで、WUGの、そしてよっぴーの原点から門出の先へとつないでいくことが意識された構成なんだなと実感した。

 

 最後に「HOME」「故郷」というものについて少し語りたい。

 先月の岩手公演でかやたんは、愛する故郷をメンバーやワグナーに感じてもらおうというステージを作った。そこでまさに今回の主役よっぴーが、岩手に故郷を感じたと語っていた。一方熊本公演では、最年長なのに普段はマスコット的存在のかやたんが、よっぴーに対し、お姉さんのような優しさで接していたように思う。公演後のブログにもそんな優しさが溢れていた。

 このファイナルツアーでは、メンバーそれぞれの故郷を巡り、またそれ以外に街であっても、そこにつながる人たち(メンバー、スタッフ、ワグナー一人ひとり)にとって「HOME」となっていくことが、ある種の「目標」になっていると感じている。

 ただ単に観光として訪れ、有名な建物や景色を眺め、写真に撮って帰るだけでは、その土地が「HOME」と呼べるものにはならないだろう。大好きな誰かが生まれ育った大切な故郷であること。仲間たちと共に楽しい時間を分かち合った場所であること。その一つ一つの場所に一人ひとりがつながっていることへの眼差しが、その土地を「HOME」という存在にしていくのだと思う。

 WUGのライブ会場に行くと、最近中東系の顔をした数人のグループを見かける。台湾人ワグナーは以前から結構いて、私も何人かと楽しく話をさせてもらったことがある。また熊本公演後に流れてきたツイートでは、よっぴーも訪れたという店で行われていたオフ会に韓国人ワグナーも参加していたようだ。彼らにとっても、よっぴーという存在を通じて熊本が「HOME」となり、会場となった(なる)それ以外の街も「HOME」となるのだろう。

 少しポレミカルな話に広げるなら、関東だ関西だとか、国とか民族といった看板だけで人を括り、そこにつながる一人ひとりへの眼差しが欠けてしまうことで、お互い出来るはずの協調や妥協を出来なくする状況が生み出されてしまうのではないかと思っている。私もかつて日本を離れ、もう戻ることはないかもしれないと覚悟した時期もあった。だからこそ、自分が生まれ育った日本という国や東京という街に根を持つ思いは人一倍意識してきたし、出会った様々な国や地域の人たちの故郷への眼差しも失わないように努めてきたつもりだ。

 WUGのツアーをそんな話にまで広げるのはやりすぎかもしれないが、ただそこに希望を感じることくらいはよいのではないだろうか。

 私の次の参加は徳島、そして仙台となる。ななみん、あいちゃん、そしてWUGの故郷に「HOME」を見出しながら、最後の門出へと向かいたいと思う。

イーハトーブの国から、旅立ちへの第一歩 ー Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅱ FANTASIA ~ 岩手公演

※ネタバレ含みます

 

 いつの間にか、涙が流れていた……

 

 12月9日、前日の夜にサラサラと降った雪が、盛岡の街に白く薄化粧を施していた。しかし空は青く、鼻孔を抜ける空気はツンと冷たく澄んで、心地よい。

 岩手はWUGメンバーの一人、奥野香耶、かやたんの故郷だ。このファイナルツアーでは、メンバーの故郷が会場のときは、そのメンバーが企画するコーナーが組まれている。この岩手公演については他のメンバーも「かやがすごく頑張って考えてくれている」と、折に触れて話していた。

 かやたんは、メンバー中随一の「不思議な」魅力を持った子だ。最年長でありながらまるで一番の妹のように他のメンバーから可愛がられ、しかし周りに流されない自分がある。守ってあげたくなるような可憐さがありながら、決して誰にも干渉させない独自の空気も纏っている。かやたん推しのワグナーたちはそんな彼女の独特な雰囲気に魅了されつつ、(私は参加してないが)3月に行われたソロイベントのときには、そこに作り上げられた彼女に困惑させられ、見事に翻弄されていたようだ。

 ただ彼女は、おそらくWUGの中で誰よりも、主観的にも客観的にも声優という自分の姿を見つめ、また探し求めている人なのだと思う。

 ツアーPart IIは「FANTASIA」と銘打たれ、Part Iのパーティー感とは変わり、冒頭の「スキノスキル」では薄いカーテンに映し出されるファンタジックな映像の後ろでWUGちゃんたちがそれに溶け込むように歌い踊り、また「outlander rhapsody」では一転、彼女たちが勇者となって、ゲームの中に入り込んだような世界観で楽しませる。

 そんな演出が続く中、これまでなら会場限定企画が来るところを、前倒しでリーディングライブが行われ、7人の家族のような絆を感じさせる物語が演じられた流れで、「Polaris」が披露される。

 その後WUGちゃんたちが一旦ステージから下がると、スクリーンが下りてくる。

 ここからは昼公演のこと。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 文字だけの映像に、かやたんの声で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。 続いてスクリーンには盛岡の街を歩くかやたんが映し出され、彼女のモノローグ。

 6年前の冬、WUGの最終オーディションを受けるために、開運橋を渡り、岩手山に見送られながら、盛岡駅から東京へと向かった自分。まさか自分が受かるわけないとどこか思っていた中で、自分の人生が大きく変わったWUGへの選出。ここからははっきりとは覚えていないが、嬉しいことばかりでなく、悩み苦しむことはあっても、支えてくれる人々へ感謝し、自分を生み、育て、送り出してくれた故郷、岩手を大切にして、故郷に誇れるような
「サウイフモノニ ワタシハ ナル
と彼女は宣言する。

 夢と不安を胸に故郷を旅立ってきた一人の女の子が、今を大事に生き、これからも一歩一歩生きていくことを力強く宣言する。その語る声に、私の組んだ手が震えだす。私は約5年間、声優として、アイドルユニットの一員として、そしてそのことに真摯に向き合う一人の人間としての彼女を、遠くファンの立場で見守ってきたつもりだ。そんな私の中に、言葉にできない何かが込み上げてくる。

 ステージの両脇から合唱団イーハトーヴシンガーズの方々が壇上に上がり、最後にかやたんがステージ中央に姿を現す。

 「私のふるさとの歌を聴いてください。」

イーハトーヴの国の人は
生命のはかなさを知っているから
イーハトーヴの国の人は
やさしく微笑むのだろう

 「イーハトーヴの風」、彼女はやさしい微笑みで、故郷の人たちと一緒に、ふるさとの歌を私たちワグナーに歌い聴かせてくれた。あの日夢を抱いて故郷を旅立ち、そこで出会った人たちを今故郷に招いて、誇りを持ってふるさとを歌う彼女の微笑みは、なんて素敵なのだろう。

 うん、かやたん、あなたは素敵です。とてもとても、素敵です……

 いつの間にか、私の頬に涙が流れていた。いつ以来だろう、気づかぬうちに流れた涙など。どんなに感動し目頭が熱くなっても、本当に涙がこぼれることなど、ほどんどなかったはずなのに……

 次に、イーハトーヴシンガーズの皆さんが、WUGの歌を覚えてくださったという。その歌は「言の葉 青葉」。作品「Wake Up, Girls!」の持つ思想を実はもっとも含んでいる曲。東北の震災の悲しみを知りつつも、何度でも芽生える力をもった青葉に言葉を寄せた歌だ。イーハトーヴシンガーズと一緒に歌うかやたんの声は、ヘッドマイクを付けているにもかかわらず、耳を澄まさなければ聞き取れないほど合唱の声に溶け込んでいる。途中からWUGの残る6人も姿を現し一緒に歌うが、彼女たちの声もイーハトーヴシンガーズの美しい歌声の中に溶け込んでいく。

 間奏で、かやたん以外の6人が会場の通路に降りてくる。そして「皆さんも一緒に歌ってください。」というかやたんの言葉に、会場のワグナーたちも皆、「言の葉 青葉」を歌う。

 この時思った。岩手の合唱団イーハトーヴシンガーズが歌い、私たちワグナーが歌い、そしてWUGの7人の歌声がその中に溶けていったことで、「言の葉 青葉」はWUGだけでなく、誰もが口ずさめる歌になれるんだなと。最初はフォークグループ「赤い鳥」が歌っていた「翼をください」が、教科書に載り、今では多くの人が「赤い鳥」のことを知らずに口ずむ合唱曲となった。「言の葉 青葉」もまた、イーハトーヴシンガーズさんがきっとどこかで歌ってくださったり、ワグナーの誰かが合唱団に入って選曲したりすることで、いずれWUGという姿が溶けて見えなくなっても、東北の歌として広く歌われる歌にきっとなれるだろう。

 歌い終わると、自然にスタンディングオベーション。涙を拭っていた私は一瞬遅れたが、ステージに向かってほぼ左隅にいた私の視界に、通路でこの光景に驚きながら満面の笑みを放つななみんの姿が映った。さすがななみん、私も一瞬で笑顔になってしまったよ。

 

 いつものように、私のブログ記事は冗長になって申し訳ないのだが、このまま夜公演の話もさせてほしい。

 

 昼公演で一つ心残りがあった。泣いて声が出なくって、「言の葉 青葉」を全然歌えなかったのだよ……。これでも若い頃、合唱団で歌ってたことがあるので、夜公演ではしっかりお腹から声出して歌うぞ。さすがに二度は泣かされないぜ、かやたん!

 夜公演でも「Polaris」が終わるとWUGちゃんたちがステージから下がり、天井からスクリーンが下りてきた。しかし今度は、WUG一人ひとりからワグナーへの、感謝の言葉が流れる。そして昼公演と同じくイーハトーヴシンガーズの方々がステージに現れ、最後にかやたんが再び中央へ。

 披露された曲は、昼公演とは異なり、「旅立ちの時」。

旅立ちの勇気を
虹色の彼方に
語りかけるこの時
微笑みながら振り向かずに
夢をつかむ者たちよ
君だけの花を咲かせよう 

  「旅立ちの勇気を 虹色の彼方に」って、まるでWUGの旅立ちのために書かれたみたいじゃないか!こんな歌があったなんて……

 この曲では他のメンバー6人も途中からステージに現れ、一緒にこの歌を歌った。昼公演は、かやたんの故郷にワグナーを招き、故郷を歌って、彼女の新たな出発の決意を表していた。そして夜公演では、同じく故郷に招いた仲間たちとともに、ワグナーたちへ旅立ちの決意を歌う。

 これまでこのファイナルツアーでは、敢えて終わりを意識させず、Part II最初の大阪公演でも、大阪出身のまゆしぃはコントや大喜利といったお笑い企画で、Part I同様にとことん楽しむステージを作ってきた。しかしこの日、声優ユニットWUGとしての終わりの時が近づいていることが明示されたのである。年明けからのPart IIIは公演数が多いので、ライブの数としてはまだ半分に達していないのだが、7月のツアー開始からの期間としては、大阪公演から2ヶ月空いたこの岩手公演が、実は後半の出発点だといえる。かやたんはきっと、最年長である自分から、旅立ちの第一歩を示そうとしたのかもしれない。

 合唱の2曲目は、昼公演と同じく「言の葉 青葉」。かやたんが「緑のサイリウムを点けてほしい」と言ったので、会場全体が緑色の光に染まる。緑はかやたんの色であると同時にWUGの色だ。アニメ新章に際し、かやたんは黄緑、WUGカラーはライトブルーに近い緑に色分けされたため、私は「雫の冠」のときは新たなWUGグリーンを灯すのだが、「言の葉 青葉」はやはり、初期のくっきりとした緑を、左の胸に当てる。

 今度は最初からかやたん以外の6人も参加し、イーハトーヴシンガーズとともに歌う。そして昼と同じく間奏で会場の通路に降りてきて、ワグナーたちも一緒に声を合わせる。

 大丈夫、また胸は熱くなってるけど、涙は出ていない。歌える。

 夜公演では幸い通路から近い席で、私のそばにはあいちゃんが立った。彼女はきっと、できるだけ一人ひとりと目を合わせながら歌っていたのだろう。私ともわずかに目が合うと、その瞳は少し濡れて光っていたように思う。私はなぜか、うん、うんと頷きながら、声を張り上げるではなく、しかしできるだけ通る声で、彼女に届けるように歌った。届いていたら嬉しい。

 歌い終わり、イーハトーヴシンガーズの方々、そしてかやたん以外のメンバーが下がると、一人残ったかやたんは言った。「がんばってねと かんたんに言えないよ」をワグナーのみんなに歌ってほしかったと。

 そう、言葉では簡単でも、「頑張る」ことは決して容易なことではない。でも、きっとだからこそ、彼女は私たちワグナーに茶目っ気のある笑顔を見せてこう続けた。

 「でも、これからも、がんばってって言ってね。」

 そうだね、簡単になんて言わないよ。私も、そして全てのワグナーたちが、心を込めて言うだろう。「がんばってね」と。

 

 最後に、イーハトーヴシンガーズの皆さんに心から感謝を申し上げます。WUGとワグナーだけでない、皆さんの美しい歌声があったから、この日のライブが忘れられない素晴らしいものになりました。本当にありがとうございました。そして、どこかでまた「言の葉 青葉」を歌っていただけたら、とても嬉しいです。

 

「未来」である今と「今」であるあの時をツナグ物語 ~ 舞台劇「Wake Up, Girls! 青葉の軌跡」BDを見て

 先日、舞台劇「Wake Up, Girls! 青葉の軌跡」のBDが届いた。この舞台は今年の6月6日~10日に上演されており、私も2公演見に行っている。当時感想を書こうと思っていたものの、すぐに頭の整理がつかず、ひとまずゆっくり考えながら次の週末までにまとめるつもりでいたら、その週末を迎える直前、全てが吹き飛んでしまった。そう、6月15日の衝撃、突然のWUG解散発表である。

 あの時、WUGちゃんたちは翌週の解散発表を胸に秘めた上で演じていた。当時眺めたツイートの記憶では、I-1メンバーやその他の演者たちはそのことを知らなかったようだ。舞台の演出家などはどうだったのだろうか。ただ、WUGメンバー以外で直接この舞台に関わった人物としては、少なくともあの人だけは前もって知っていたのではと予想できる。脚本の待田堂子氏だ。彼女はWUGの解散を知った上でこの舞台の脚本を書いたのだろうと。

 実は公演を見た直後も、待田さんの観点で感想を書こうとは考えていた。あの時なりに考えていたことと、今も大枠は変わっていないのだが、しかし今だからこそ、待田さんがより強くWUGに寄り添う気持ちで脚本を書いていたものと思える。

『Wake Up,Girls!』は私にとって、はじめてのオリジナルアニメ。思い入れがあります。
今回の舞台は、初期テレビシリーズで、書き切れなかったことを詰め込みました。今年で結成5周年。彼女達も、それぞれに積み上げたものや思いがあると思います。私は今でも一緒に歩いているつもりです。
待田堂子

(舞台公式サイトより) 

 待田さんは初期テレビシリーズの脚本・シリーズ構成を担当し、またWUG声優オーディションの選考員の一人だった。原案・監督の山本寛氏、作曲の神前暁氏、そして待田さんが、声優ユニットWUGの7人を選抜した生みの親である。しかし彼らの中で、新章まで継続的に残っていた者はいない。神前氏はアニメ放送直前に病で長期休養に入り、楽曲面の世話を弟子の田中秀和氏に託してWUGから離れる(新章ではRGRに曲を提供しているが、WUG曲は田中氏や岡部啓一氏に任せている)。山本氏は、ワグナーによって賛否諸々あろうが、WUGというコンテンツに断絶を刻んで切り離された。

 待田さんは、理由は分からないが、2015年秋冬の続劇場版の時点でスタッフロールからその名前が消えていた。2017年1月に上演された前回舞台「Wake Up, Girls! 青葉の記録」の脚本を書くまで、WUGとの関わりは途絶えていたようだ。

 「私は今でも一緒に歩いているつもりです。」

 前回舞台でも、待田さんは初期シリーズの人として、そこまで3年間歩んできたWUGメンバーたちの思いを込めた原点を綴り、新章へ向けて彼女たちを送り出している。

 待田堂子 on Twitter: "私、WUG、大好きなんですよね〜。… "

 前回舞台当時のツイートを掘り出してみたのだが、コンテンツから離れていても、ずっとWUGちゃんたちを愛してくれていたのだ。

 そして今回の舞台。物語は初期テレビシリーズ5話~7話を基本的に再現するものだが、それを新章を終えたWUGが振り返る形をとっている。冒頭とエンディングに、WUG7人が言葉を寄せ合って紡いだ歌「Polaris」。

 ”キラキラキラ輝く 未来と今ツナグTwinkle star”

 待田さんは、「未来」である今と「今」であるあの時をツナグ物語を描こうとしたのではないだろうか。

 物語序盤、Twinkleから新曲「16歳のアガペー」をもらい、初ライブに向けレッスンに励むものの、なかなか足並みが揃わない。ライブ同日にI-1 Clubの仙台公演がかち合ったことにも焦りが隠せない。そして散々な結果に終わった初ライブ。心がすれ違う7人。特に、かつてI-1 Clubでセンターを務めていた真夢が今WUGにいることに、その真意を計れずわだかまりを募らせる佳乃。

 ”街明かり消えた夜
  誰を頼ればいいの?
  不安とかイライラが闇を作り出す”

 アニメを放送していた当時、もしかしたら彼女たちにもこんな思いがあったのかもしれない。特にまだ熊本から上京する前のよっぴーは、他のメンバーから遅れをとっている自分に焦りを感じていたことを隠していない。「ハイパーリンク」と謳ってリアルWUGのエピソードなどを山本監督とともにアニメの脚本へ反映させていた待田さんだが、その脚本を上塗りする葛藤がその後のリアルなWUGにはきっとあった。仲良しに見えてまだお互い手探りだったあの頃。その思いが「Polaris」の歌詞に滑り込んでおり、だから今回の舞台では、そのすれ違う様がアニメの時以上に強調されていたように感じられた。

 菜々美「なんだかわからないけど」
 藍里「何かがズレてて」
 佳乃「私達、きっと」
 真夢「すれ違ってる」

 突然WUGのレッスンを買って出たI-1 Clubの音楽プロデューサー早坂によって、WUGの脱退を突きつけれる藍里。そしてそのことを知らされ、藍里をどうするか悩み、焦り、揉める残りのメンバーたち。そこでぶつかって吐き出して、でも7人でWUGだ、藍里は切り捨てないという結論で、彼女たちは走り出す。

 ここからの、特によっぴーの演技は迫真だった。演出家の萩原氏からは「毎公演こんなに感情が変わるとは…」と言われていたそうだが、それだけ一つには収まらない感情がよっぴーの中にあったのだろう。アニメのアフレコの時、山本監督から散々泣かされて演じたものとはおそらく全く違う、今のよっぴーの中から溢れ出る感情があった。ナマモノの舞台だからこそ、そこに監督のOKはない。毎回違う全てが本物だったに違いない。

 エピローグ。「Polaris」の衣装を来た今の7人が再び現れ、振り返る。

 菜々美「WUGらしさって何だろう?それは私達がずっと考えてきたことだ」
 未夕「今だから、なんとなくわかったことがある……」
 夏夜「それは……もしかしたら……私達が頑張っている姿を見た人が……」
 実波「自分たちも頑張ろうって思ってくれること……」
 藍里「みんながそんな風に感じてくれることが、やがて私達に戻ってきて……」
 佳乃「そして、また、私達も七人で頑張っていこうと思えることなのかもしれない……」

 そして再び流れる「Polaris」のメロディー。

 ”ひと粒の瞬きがボクを導いてく
  ココロから憧れた世界
  満天の星空になる日まで”

 先日、ANIMAX MUSIX横浜アリーナで見た白く満天の星空。すれ違い、ぶつかり合い、涙したあの時の「今」があるから、今という「未来」に描けたあの景色だ。

 今回の舞台脚本のもう一つの肝は、I-1 Clubの岩崎志保の描き方だ。アニメ初期シリーズの志保は、真夢に対し厳しい顔で「負けない」と呟いていた。それに対しこの舞台では、面倒見の良い先輩として後輩を相手に、真夢は「勝ちたい相手」だと語る。これは待田さんが関わっていなかった続劇場版と新章に繋がる志保の側面を描いた改変だ。

 だから、エンディングの「Polaris」で、新章最終回と同じようにWUGとI-1 Clubが一緒に手を降って歌える世界が生まれたと言える。まさにWUGちゃんたちが「ココロから憧れた世界」なのではないだろうか。

 ”キラキラlucky lucky 奇跡が
  永遠に続くならば
  振り返らず進むだけでいい
  だって君もボクを照らすPolaris

 もうすぐ解散を迎えるWUG。その発表を胸に秘めて演じる舞台のために、WUGちゃんたちが自分たちの思いを込めて書いた歌に寄り添って、待田さんはあの時と今をツナグ脚本を書いたのだろう。そして「振り返らず進むだけでいい」、未来と今はツナガっているのだからと、彼女たちを未来へと送り出す。

 待田さんにとっても、WUGは自分を照らすPolarisなんだろうな。

ワグナーを巻き込み攻めて描いた白く満天の星空 ~ ANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMA for the Wake Up, Girls!

 11月17日(土)、横浜アリーナで開催された「ANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMA」に参加してきた。こういったフェス系のイベントに参加したことは殆なく、夏のアニサマに次ぐ規模のANIMAX MUSIXも、当然これが初めて。年末のアニメJAMには何回か行ってるが、あれはWUGのイベントの延長線上にあるイメージがあり、ファンであるワグナーからすればホームゲームのようなものだ。1万人を超える観客が集まる横浜アリーナでは、ワグナーは確実に少数派である。それでも解散前の最後の大規模イベントに参戦するWUGを見届けるため、私のような者も少なからず足を運んでいたはずだ。とはいえ、アウェイゲームであることには変わりない。

  イベントが始まると、まずはトップバッターOxTが一気に会場を盛り上げる。ヴォーカルのオーイシマサヨシは「けものフレンズ」のOP製作者として強くインプットされていると同時に、「月刊少女野崎くん」のOPでも強烈な印象があって、歌い手としてもエンターテイナーとしても、トップバッターにうってつけのアーティストだ。続く田所あずさも個人的に結構好きで、彼女の歌は比較的よく聞いているから、今回ライブで見られて嬉しいアーティストの一人だ。また男性アーティストだけで女性アーティストの曲をカバーするという企画「MUSIX漢祭り!」も最高に楽しかった。またオーイシマサヨシになるが、まさかTOM☆CATの「TOUGH BOY」を歌うとはね。古いよ!オレも若い頃カラオケでよくチャレンジしたよwww

  それにしても、WUGが出てこない。いや、中途半端な順番で消化されたくはないから、まずはコラボ企画で一旦出てこないかなと待っていたのだが、全く出てこない。そしてついに「本日前半のトリ!」とのアナウンスが入り、「え?このまま前半なし?」と思った瞬間コールされたアーティスト名が「Wake Up, Girls!」。ここで来たか!大役じゃないか!

  手にした汎用キンブレ(WUG用だと他のアーティストで必要な色がなかったりするからね)を急いで緑に変え、登場の瞬間を待つ。知名度の高い「タチアガレ!」を王道でぶつけてくるか、新章OP「7 senses」で今のWUGをしっかり自己紹介するか。少なくとも自分たちで言葉を紡いだ「Polaris」は締めで歌うだろう。さあ何から行く、WUGちゃん!

  そして2段ステージの2階にバッとスポットライトが当たる。

  「成長したい 成長したい」

 マジか!それかよ!衣装も含め、この夏のファイナルツアーPart1のオープニングをまさかの再現じゃないか!ちょっと待て、ここはアウェイゲームの横浜アリーナだぜ!ここで「SHIFT」かよ!

 念のため、ワグナー以外の読者(多分義理で読んでくれてる競馬絡みのフォロワーさん)に説明しよう。この「SHIFT」という曲は、この1~3月クールに放映されていた「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」というアニメのED主題歌「スキノスキル」のカップリング曲である。作中の挿入歌でもなく、ワグナーでさえ「スキノスキル」のCDを買って初めて聴いた曲だ。そしてライブで披露されたのは、上記のツアーPart1、市原、座間、大宮だけである。しかも解散発表直後のツアーで、ほぼファンクラブ会員だけで客席を埋めてしまっていたので、ワグナー以外この曲のライブ感を知らないのだ。それでも初っ端から盛り上げるにはうってつけの曲で、Part1の印象に圧倒的インパクトを与えたのも確かである。でもここは横浜アリーナだぜ?アウェイだぜ?いくらなんでも攻めすぎだろ。

 「成長したい 成長したい 認証されたい」

 ワグナー「レッスン!レッスン!」

  ここで気づいた。やばい。この子たち、完全にオレたちをアテにしてやがる。これ、オレたちのコール次第で、三振になるかヒットになるかが決まるんじゃないか!

 「合格したい 合格したい 合格できない」

 ワグナー「オーディッショーン!」

 おじさん、過去一番のでかい声を張り上げてコールしましたよ。Bブロック後ろの方、ステージのほぼ反対側から、そっちまで届かせる気持ちで叫びましたよ。たまたま隣にいたあいちゃん推しの若いワグナーさんも一緒に、渾身の声で叫んでました。

 まったくもう、楽しすぎるじゃないか。全然守りに入らない。見たか横浜アリーナ!これがWUGとワグナーだ!お前らも盛り上がれ!って感じで、テンション上がる上がるw もちろんワグナー以外がコールのセリフをいきなり再現できるわけないのだが、しかし全体の盛り上がりは感じ取れる。

 WUGちゃんたちはステージ1階に降りてきてポップなダンスを披露し、「SHIFT」を歌い終えると、カラフルな衣装を脱ぎ捨て、中に着ていた黒衣装で「恋?で愛?で暴君です!」へ突入。これも完全にPart1の再現だ。そしてこの曲もコールと一体で盛り上がる曲だ。

 「ダイスキだ~い」

 ワグナー「オレモー!」

 知らない人が聞いたらドン引きだろ。でもこちらはある程度認知度があるせいか、「SHIFT」よりも聞こえてくるコールの声が大きい。しかもこっちのほうは簡単なせいか、4回目の「ダイスキだ~い」のときには、確実に「オレモー!」の声が増えていた。巻き込んでるよ、横浜アリーナを。1万人超の観客たちを!

 「恋?で愛?で暴君です!」を歌い終え、メンバー自己紹介と簡単なMC。解散を控えた湿っぽさは一切出さず、しかし伝えたい思いは自分たちで言葉を紡いだ歌で。やはり締めの曲はこれしかない。「Polaris」だ。

 会場の色が徐々に白へと変わっていく。WUGといえばユニットカラーが緑で、ワグナー以外の観客にもそのことは概ね認知されているが、この曲は白。ワグナーたちが切り替えていく光に合わせて、会場のほぼ全体が白に包まれたとき、感謝の気持ちがこみ上げてくる。この横浜アリーナが白く満天の星空となり、WUGにとってアウェイからホームに変わったことに。

  最初の間奏でメンバーたちが二手に分かれ、センターエリアとアリーナブロックの間に作られた周回通路へ降りてくる。今年のWUGはとにかくファンの近くへ行くという方針で一貫しており、この横浜アリーナでもそれは変わらない。

 そしてセンターエリアを横切る通路に集まり歌い続ける中、まゆしぃのソロパートがやってくる。このときだけペンライトの色を白から赤に替えるのが私たちのお約束だ。さすがにワグナー以外の人はこの僅かな変化に対応できないだろう。つまり、この15秒程度の間だけ輝いた赤い光が、真正ワグナーたちだと言ってもよい。WUGちゃんたちがアテにしてくれたオレたちの、ささやかなアピールタイムだ。

 「キラキラキラ 輝く」

 正面のスクリーンに歌詞が流れ、会場みんなで一緒に歌い始める。メンバーたちは再び二手に分かれ、歌いながら周回通路を、今度は後方に向かって歩いてくる。ああ、やっぱり今のWUGちゃんだ。一番後ろまでやってきて、歌と笑顔を届けてくれる。Bブロック後方にいた私には、メインステージ上のアーティストの姿は、スクリーンを見なければ表情が分からないほど豆粒だ。でもWUGちゃんたちは、直接その笑顔が見られる距離まで来てくれた。本当に、この子たちを好きになれてよかった。

 そして二手に分かれたメンバーたちが再び合流したミキサーエリアの後ろ。そこに設けられたささやかな台の上に立ち、7人が肩を組んで、会場のみんなと一緒に歌う。

 「ラララララ~ラ ラ~ラララ」

 

  

 この日の公演を通じて、この場所に立ったのは結局WUGだけだった。彼女たちのためだけに設けられた小さな、しかしどこよりも身近で温かい特設ステージ。この瞬間、この場所にいられてよかった。感謝の思いしかない。WUGちゃんに、この小さな特設ステージを用意してくれたANIMAX運営の方々に、会場を白く満天の星空に変えてくれた全ての観客に、そして共に先導して叫んだワグナーたちに、心からありがとう……

 

 

 

 

 WUGちゃんたちが下がり、20分間の休憩に入った瞬間、隣のあいちゃん推しワグナーさんと顔を見合わせると、完全に幸福感に満ちた笑顔。お互いドカッと席に座り「いや~最高でしたねえ」と語り合ってしまった。

 ……が、まだこの日の公演の前半が終わったとこなんだが。

 こちらとしてはもうメインイベントが終わってしまった気分。でもまあ、後半は他のアーティストとのコラボで出てくる機会はあるだろうし、それはそれで楽しもうくらいの感じでいたら、「WUG3本勝負!」という、WUGのために用意した特別コラボ企画。3組のアーティストと3曲連続で歌うという破格の待遇。ANIMAX運営さん、マジありがとう!

 もうすでに長々書いてるので、この企画については以下巻きで。

 まずLuce Twinkle Wink☆との「もってけ!セーラーふく」。ルーチェはWUGより後発のユニットで、ライブではWUG曲をカバーしてるとのこと。またこの曲はWUGがデビュー当初カバーしてた曲なので、お互い一瞬の気の緩みを許さない、本気のダンスバトルって感じで、ハイレベルなパフォーマンスが素晴らしかった。

  続いてスタァライト九九組との「回レ!雪月花」。こちらはユニットも曲も知らなかったのだけど、スタァライト九九組は作品派生のユニットとのことで、メンバーにWUGを可愛がってくれている三森すずこがいたり、よっぴーと仲がよい伊藤彩沙がいたりとかで、ノリのよい曲で一緒にタオルをぐるぐる回して楽しんでる感じがよかった。

 そして最後がびっくりしたことに、中島愛との「星間飛行」。WUGにとって、特にファンを公言しているかやたんにとって憧れの存在であるまめぐとのコラボを用意してくれるとは、ANIMAXさん素敵すぎる。まめぐが前奏で「WUGちゃんを抱きしめて!」と会場に向かって叫んだときは、豆粒にしか見えない距離なのに、メンバーの幸せが伝わってくるの勝手に感じた。そして手前にかやたん、後方に2階ステージのまめぐを仰瞰のツーショットで抜いたムービーカメラマンさん、この日最高のGJ!を進呈したい。このカット、どこかでまた見られるとありがたいなあ。

 更にまめぐとのコラボについて加えると、昨年Wake Up, May'n!(WUM)としてMay'nとコラボユニットを結成していたつながりで、かつてマクロスFでMay'nとコンビを組んでいた中島愛とのWake Up, Megumi!(WUM)ができたのは、とても素敵な繋がりだなと、感慨深く思う次第である。

 いや、ホント、WUGちゃんのためにこんなにも素敵なステージを用意してくれて、ANIMAX MUSIXさん、本当に本当にありがとうございました。一ファンである自分にも、深く心に残る、素晴らしい時間となりました。

 まあしかし、6時間のライブというのはさすがに疲れた。汎用キンブレの電池は9月のWUGファンミのときに取り替え、あいちゃん曲で桜色を出すためにしか使ってなかったから、今回そのまま持っていったのだけど、大トリ前の黒崎真音のステージで紫色が怪しくなり、大トリのGRANRODEOで燃え尽きました。しかし他のアーティストのステージも十分楽しめ、今回参加して本当によかった。

 そんな満ち足りた疲労感を抱えて帰宅すると、我が家のポストにWUGちゃんからバースデーカードが届いていた。最後まで本当に良い一日だった。