ポストSSAから歴史としてのWUGへ

 この記事タイトルをネガティヴなものとして受け止めないでほしい。ざっくり言うなら、SSAの余韻からシームレスに始まってしまったその後の月日に対し、自分なりに一旦線を引こうというだけだ。

 解散後SNSを順次始めた彼女たちが、ライブのMCやWUGちゃんねる、ぺらじなんかを見たり聴いたりしていたときとまるで変わらず絡み合い、じゃれ合っている様子を見て、素直に微笑ましい気持ちになりながら、ポストSSAの日々は進んでいた。それは、気持ちの軟着陸という意味では、とても理想的で、私が知っている彼女たちらしい姿だとも思っている。

 ただ、昨年6月15日の解散発表から始まったファイナルツアーの怒涛の濃密な時間と、これ以上ないほどの大団円をもって幕を閉じたSSAのファイナルライブを振り返ったとき、WUGの6年間、自分が彼女たちと出会ってからの5年余り、そしてあの怒涛の9カ月を、きちんと「歴史」にしなければいけないな、と思うのだ。

 ああ、もちろんWUGについての歴史書を執筆しようというわけではないですよ。念のためw

 「歴史」というと、あたかも終わってしまったものにするかのように聞こえるかもしれない。でも「歴史」とは、実は発見によって紡がれていくものなのですよ。書き留められる事実は、そこに意味や価値を見出されるからこそ、「歴史」として書き留められる。子供の頃、そのときは大ごとのように思えた出来事も、時とともに記憶も印象も薄れ、「なんかそんなこともあったかな?」くらいになってしまったものが、誰しもあるだろう。しかし、その後の人生で再び呼び起こされ、新たな意味や価値を生み出す経験や記憶は、その人の人生において「歴史」としてしっかり刻まれたものといえる。 

Wake?Up,?Girls! ?FINAL?LIVE?想い出のパレード? [Blu-ray]

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 先日SSAのブルーレイが届いた。

 あ、とりあえずあの場にいた13000人のみなさん、買ってね!少ないバイト代をやりくりしてる学生さんなんかも、毎月ちょっとずつ貯金して数カ月後になってもいいから、是非是非手に入れてね!

 さて、映像を見ると、200レベル最前で見ていた景色とは違うものがいろいろ見えてくる。ただそれによってあの時の印象が変わるわけではなく、それが補完される。私はあの日、ステージ上の彼女たちの表情がほとんど分からないにもかかわらず、モニターは敢えてほとんど見ていなかった。彼女たち7人の姿を可能な限り全て残さず直に目に焼き付けたかったからだ。それが今、映像を通じて、記憶に残るそれぞれの瞬間にメンバー一人ひとりの表情が補完され、見えていなかった会場全体の一部として、自分があの景色を作っていたことを視覚的に理解する。これによって、私の中のあの日が、一旦記憶として完成されたわけだ。

 このブルーレイによって、彼女たちの軌跡を映したものは事実上全て出揃った。ファイナルツアーPart IIIで使われた各メンバー毎のPRINCESS紹介動画が追加リリースされるらしいし、Animaxで放送されたドキュメンタリーが円盤化されたりしてくれたら、まだもう少しプラスアルファされるかもしれないが、いわば一次史料としては、SSAのブルーレイで一区切りと言っていい。

 だからここで、あの日からなんとなくシームレスに続いてきたポストSSAの感覚から、一旦線を引こうと思う。そしてここからは、人生の第二章として、WUGちゃんたちを新たに見つけていく自分へと切り替えていきたいと思うのだ。

いま気づかれなくてもいい。
5年でも、10年でも、20年先でも、
WUGってすごいグループだったと言ってもらえる自信があります。

 SSAで語ったあいちゃんのこの言葉は、必ずしもこれからWUGを知る人たちを指すものではないだろう。私を含めたワグナーたちもまた、WUGが存在した意味を20年先にも新たに見出だせたなら、 WUGはこれからも「歴史」として残っていくことになる。だからこそ、まゆしぃの「Wake Up, Girls!をこれからもよろしくお願いします!」という言葉もまた、私たちに意味成すものとなる。

 最近、ツイッターから距離を置いている。別に辞めてしまうつもりではないが、少しWUG後の自分を作り直すための一環だ。メンバーそれぞれが始めたラジオやインターネット番組も視聴しているが、リアタイで頑張って聞く感じではなく、週に一、二度時間を作って、まとめてになっている。ワグナーとしてあの内側にいた当事者性より、新たなスタートを切った彼女たちを、少し離れたところから見守るスタンスといったところだろうか。

 彼女たちが参加するイベントや舞台にも、今のところ行っていない。もちろんこれは、今も変わらず足繁く現場に通っているワグナーたちがいてこそ出来ることであり、彼らに任せて安心しているということでもある。

 だからまあ、つらつらと書いてはきたが、こうあるべきだという話ではなく、WUG後の過ごし方は、ワグナー皆それぞれであっていい。人によっては、現場で新たな彼女たち一人ひとりを見出すことによって、WUGを「歴史」としていくのだろうから。

 このところはとにかく本を読んでいる。4月以降、十数冊といったところか。このブログも、始めた頃の本来の主旨に戻って、読書や映画・アニメの備忘録的感想を書こうかと思ってるが、無理してもかつてのように長続きしないので、気が向いたらって感じになるだろう。