竹田茂夫『ゲーム理論を読みとく――戦略的理性の批判』

ゲーム理論を読みとく (ちくま新書)

ゲーム理論を読みとく (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
数学と物理学の天才フォン・ノイマンや映画「ビューティフル・マインド」で話題を呼んだジョン・ナッシュが創始したゲーム理論は、社会のどの分野でも見られる協調と対立の現象を数学的モデルで厳密に分析することを目指し、ビジネスの現場から国家戦略まで多くの分野で影響力を発揮してきた。しかしそうした考え方は大きな壁にぶつかっている。いまや現代社会科学の支配的パラダイムにまでなりつつある「戦略的思考」のエッセンスと広がりを描くと同時に、そこから脱出する道をさぐる。

 「ゲーム理論」という言葉は知っていたものの、その内容をきちんと知る機会がなかったので、とりあえず教養として知っておこうと思い、この本を手に取った。しかし読後にアマゾンの書評を眺めてみたら、ゲーム理論を分かっている人からもこれは初級者向けではないと書かれており、しかも評価は味噌糞だ。そういうことで、この本を読んで私が理解したものが「ゲーム理論」の理解として正しいかは分からない。実際いろいろ出てくるシミュレイションは、通勤電車内で読んで理解するには私には厳しかった。

 但し本書の主眼は、合理的に抽象化されたモデルによる社会分析や戦略形成の実態とその限界を指摘するところにあるので、その限りにおいて畑違いの人間が読めないような代物ではない。もっとも結論自体は、乱暴ではあっても斬新ではなく、批判者の立場ならそこに辿り着きたかったのだろうという予測可能なもの。

ゲーム理論が想定する世界では、互いに敵でも友でもないばらばらの個体が離合集散を繰り返し、たまたま寄り集まってはゲームを設定し、互いを自分の利益を実現するための道具、材料、あるいは最悪の場合には殺戮の対象として考えて行動し、ゲームの結果を得て再び離れていくといったことを永久に繰り返すのだ。社会理論というにはあまりに希薄な世界であり、ゲーム理論は過去にも未来にもなんの展望も開かない。(298頁)

 一応学問的にも社会的にも広く用いられている理論を、ここまでばっさり切り捨てられるのは大したもんだと思うが、ただこのような批判は、ゲーム理論だけに当てはまるものではない。結局のところ「理論」というものそれ自体が、対象の個性に依存しない一般性を求めるものなのだから、具体的な個々の人間性に対しては常に残酷な顔を秘めている。ゲーム理論に限らず、あらゆる理論家や学者は「価値自由」(Wertfrei)ではあっても、「無価値」(Wertlos)な存在ではなく、その価値がもたらす結果には無責任ではありえない。だからこの本の批判も、理論を弄する者は血肉を持った対象に与える影響にも自覚的であれ、という当たり前の批判ということになる。

 とりあえず冷戦におけるゲーム理論家の演じた役割や、その他の具体的国際紛争の中に理論を当てはめて論じているのは、「ふ〜ん、なるほどねぇ」という程度に面白かった。