ソ・ラ・ノ・ヲ・ト ― 第7話「蝉時雨・精霊流シ」

内容(公式サイト 各話あらすじより)
蝉の声が響く夏のある日。
どこか元気のないフィリシアを、カナタたちは心配そうに見ていました。
フィリシアの脳裏に浮かぶのは、かつての戦場での光景。
戦火のなか生き残り、瓦礫の山と化した街をさまようフィリシアに、兵士の亡霊は問いかけます。
「こんな世界で生き延びることに、意味はあるのかい…?」
一方、セーズでは灯籠を流し死者の魂を慰める“フィーエスタ・デュ・ルミエール”の日が近づいていました。

 このアニメのEDに関しては、ネット界隈でよく「空気ぶち壊しだ」といった批判がされてるが、そう思っている人は恐らく今回、それをより強く思ったんじゃないかと思う。でもこの元気で前向きなED曲は、今後どれだけ重苦しい展開が来ようと、それでも元気に生きていくんだという登場人物たちの活力を表現してるんだなと今回感じた。視聴者に対しても「落ち込まずに、元気についてきてね。」というメッセージになっているのかなと。少なくとも私はこのED曲が流れた瞬間、来週も前向きな気持ちでこのアニメを見ることができると、ホッとさせられた。

 つまり今回は、このアニメ始まって以来、一番の重い回だったわけだ。

 “フィーエスタ・デュ・ルミエール”、死者の魂を慰める灯篭流しの日に、フィリシア隊長の過去と、そのまた昔、「世界は終わってしまった」と兵士の亡霊が語る過去が、回想として描かれる。亡霊の語る過去では、都市を一瞬のうちに薙ぎ払うほどの力を持った「あいつら」によって世界が滅ぼされていったことが明かされる。ビルに大きな黒い翼が一瞬映されたことから、「あいつら」が第1話で語られた「伝説の悪魔」の原型であることが分かる。亡霊となった兵士が柱に書き残した遺言には、残る家族たちの安らかなる最期が願われており、このときの戦いが如何に絶望的なものであったかが窺われる。

 それゆえに兵士の亡霊は戦場で一人生き残ったフィリシアに問う。

「こんな世界で生き延びることに、意味はあるのかい…?」

 この亡霊が伝説の悪魔と戦っていた時代の遥かあと、フィリシアは戦車隊の一番下の兵士として、とある戦場で戦っていた。敵は「伝説の悪魔」ではなく、フィリシアたちの部隊と同じ多脚戦車隊。それはつまり、人同士の戦争である。そこで彼女はただ一人生き残った。同じ戦車にいた4人の仲間、家族のように打ち解けあっていた仲間たちの無残な最期を目の当たりにしながら。仲間の死。戦場となり破壊され尽くされた街。彼女の目に映るものは絶望に満ち満ちていた。

 それゆえに兵士の亡霊はフィリシアに問う。

「こんな世界で生き延びることに、意味はあるのかい…?」

 そのとき、「アメイジング・グレイス」の調べが空に響いた。

 フィリシアは叫ぶ。「わたし、ここにいます!生きてます!お願い、助けてください!」

 こんな絶望に満ちた世界でも、彼女は生き延びることを渇望した。「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」が響いたから。音が繋がったから。第1話冒頭の迷子になっていた幼いカナタや崖下に落ちたときのカナタと同じく、空に響いたトランペットの音色が、取り残された絶望の世界からフィリシアを人と繋がり生きる世界へと導いたのだった。

 時を経たフィリシアは、「この世界に意味なんてないのよ。でもそれって素敵じゃない?だって、ないんなら自分で勝手に見つければいいんだもの。」とリオに語る。そして彼女が見つけた「ここにいる意味」とは、「あの子たち(カナタたち若い仲間たち)には、私みたいな思いは、絶対にさせたくないわ。」ということ。フィリシアはかつての仲間たちと名もなき兵士の魂を乗せ、灯篭を川へ送り流す。家族の如き新たな仲間たちの平和を、一人生き残った自分は守り生きていく、そんな思いを死んでいった魂たちへ伝えるように。

 恐らくこのようなフィリシアの思いが、この作品のグランドテーマということでよいのだろう。

 この他にも今回はいろいろと見えてきたこと、改めて示唆されるものが多かった。

 フィリシアを救ったトランペットの主は、カナタを迷子のときに救った人物であり、またリオの回想にも出てきた金髪の女性兵士だった。リオと同じ鈴を胸に下げた彼女を見て、フィリシアは「イリア皇女殿下」と呟いている。またリオが流した灯篭には母と姉の魂が乗せられており、このとき遠くから教会の司祭がリオを見て「あの方は…」と驚き顔で呟いていることから、このイリア皇女殿下がリオの姉であることが示唆された。ということはリオも皇族ということになる。父とは上手くいってないようだから、王であり軍統括司令である父と距離を置き、身分を隠して辺境の第1121小隊にいるということなのかもしれない。

 またクレハは灯篭を流すとき、手を合わせて「父さん、母さん」と呟いていたから、やはり両親は亡くなっているんだろう。一方、ただ一人灯篭流しをしていなかったノエルは、傍らで胸に辛い思いを抱えたような表情を見せていた。フィリシアが戦ったビネンラントを直接知っているとも言ってたし、彼女も猛烈に辛い過去を抱えているのかもしれない。

 前にも書いたように、このアニメは起承転結のように展開するストーリーではなく、ジグソーパズルのピースを埋めていき、最後に一つの絵になるように描かれていると考えている。だからこの後も恐らく怒涛の展開のようなものはないだろう。しかし完成するジグソーパズルの絵は、恐らくどんな姿であっても幸せの表現になると思う。そう確信した今回のストーリーだった。