ソ・ラ・ノ・ヲ・ト ― 第3話「隊ノ一日・梨旺走ル」

内容(公式サイト 各話あらすじより)
雲一つない払暁の空に鳴り響く、下手くそな起床ラッパ――。
喇叭手としてはまだまだだけれど、
隊での生活にもすっかり慣れたカナタは毎日元気いっぱいに、楽しそうに過ごしていました。
けれどある日のこと、カナタは熱を出して倒れてしまい……。

 3話目にしていまだ方向性がクリアにならないストーリーに、2chスレやブロガーたちの一部では不満が燻り始めている「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」。確かに妙に疑問符を投げかける舞台設定には戸惑いを覚えるのも仕方なく、人物たちはごく人間らしい日常を描いているだけのようで、スパッと物語にのめり込んでいける展開ではない。しかし私個人的には、1−2話と順を踏んで、この第3話で更にググっとこの世界に惹き付けられた。うん、このアニメ、好きだ。1週間が待ち遠しくなる。

 ストーリーの方向性、あるいは流れという点では、恐らく半分過ぎてもはっきりしないんじゃないかと思う。即ちこのストーリーは、起承転結のように流れていくことを多分前提にしていない。制作者側の意図は恐らく、ジグソーパズルのピースを埋めていくように、この世界の全体像を描いていくことなんじゃないかと思えるのだ。ジグソーパズルで完成図のイメージが見えてくるのが大体4分の3くらい埋まった辺りから。この物語も4分の3を過ぎた辺りでようやく「こういう絵を描こうとしてるのかぁ」というのが見えてくるのだろう。そして最終話に最後のピースが嵌ってすっきり気持ちよく完成、って感じになるのではと想像している。それゆえ今は一つ一つの場面や台詞を丁寧に記憶しておくことに集中して、あまり先読みに拘らないのが賢明な見方じゃないかと思う。

 さて、それでは今回出てきた世界観を示唆するピースはというと、味噌汁、お御籤、八百万の神、教会門前の注連縄、アメージング・グレース、戦車タケミカヅチに宿る高度なテクノロジー。前回の話で、この物語の世界では私たち視聴者が知る事物が明確に存在しても、それらが持つ記憶が継承されておらず、時間的な断絶が存在しているのではと感じた。今回もタケミカヅチの技術以外は基本的に私たちが知ったものでありながら、記憶の継承がされていない。八百万の神を信じ、お御籤を挟んだ辻占煎餅を作る教会は、外見的にはキリスト教会の建物であり、信者ユミナキリスト教の修道女のような信仰生活を送っているようである。それは神道キリスト教が習合したというより、一旦全ての記憶がリセットされた後に、形としてのキリスト教会が偶々目の前にあった八百万の神をそのまま信仰し始めたかのようである。一方キリスト教の賛美歌アメージング・グレースは、神道の神の名を採ったタケミカヅチの中に録音され残されていた。私たちの世界では信者以外でも聴き馴染んでいるこの賛美歌も、この物語の世界ではスタンダードではなく、リオとカナタは互いがこの曲を知っていたことに驚いている。ここにも時間的な記憶の断絶が描かれる。だが今回初めて垣間見せたタケミカヅチのテクノロジーは、私たちの世界では共有されていない、高度に進んだ未来の技術である様子だ。謂わばこの時間的断絶の間に入り込む、今のところ唯一のピースである。このピースが今後どのような意味を持つのかは気になるところだが、ここは頭に留めるだけで深追いせず、次回以降の展開を楽しみにしよう。

 人物描写に関しては、基本的には変わらず日常的なエピソードの範疇といえる。しかしそれでもカナタとリオのキャラクターについてはいろいろと見えてきた回だった。カナタについては、第1話で何となく見せていた弱気な部分が今回はっきり描かれ、前回比較したストライクウィッチーズの宮藤のようなただ元気でまっすぐな性格というのではなく、「見かけより随分と繊細だったんだな。」ということが分かってきた。こういう繊細さも含めた丁寧な性格描写は、キャラクターを大事に見守っていきたい気持ちにさせられ、とてもよい。リオについても今の彼女の性格を形作る過去が垣間見られ、同時にこのたった一話の中で無理なく一つの克服が描かれた。宗教との和解である。たとえ賛美歌としての認識がなかったとしても、賛美歌アメージング・グレースが人物たちの心を繋ぐ歌になっていくならば、この宗教との和解は大事なステップだ。と同時に、これは信仰心もまた人の心が形成するものということを伝える上で重要な描写であり、つまり今後安易にマジカルな力に頼る展開はないと宣言された場面だったと考えられる。

 次回はノエル回らしい。無口キャラは基本的においしいポジションゆえに、その正体が楽しみだ。