岡田温司『マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女』

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
聖母マリアエヴァと並んで、マグダラのマリアは、西洋世界で最もポピュラーな女性である。娼婦であった彼女は、悔悛して、キリストの磔刑、埋葬、復活に立ち会い、「使徒のなかの使徒」と呼ばれた。両極端ともいえる体験をもつため、その後の芸術表現において、多様な解釈や表象を与えられてきた。貞節にして淫ら、美しくてしかも神聖な、“娼婦=聖女”が辿った数奇な運命を芸術作品から読み解く。図像資料多数収載。

 『ダ・ヴィンチ・コード』ではイエスの子どもを残していたことになってるだの、スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』ではイエスとのまぐわいシーンでキリスト教会に物議を醸し出すなど、近年イエスの女として題材とされることが多い女性マグダラのマリア。何かと貞操観念の厳しい聖書にあって、処女性を保持したままイエスの母となったマリアがどこまでも穢れなき女性であるのに対し、マグダラのマリアには情欲も知った「女」の芳香すら感じさせるイメージがある。しかしながら、彼女はイエスの復活を誰よりも先に天使から知らされ、そしてペテロたち男の使徒たちよりも先にその復活のイエスと出会っている、明らかに特別に選ばれた女性だ。聖書の中で彼女ほど存在感があり、興味をそそられる女性はいない。正直に言って母マリア以上だ。

 本書ではまず聖書におけるマグダラのマリアの描写を、各福音書の性格の違いを踏まえて確認していく。これだけでもこの本を読んだ甲斐はあった。イエスの生誕シーンなどを最も活き活きと描くルカ書が、ペテロたち男使徒たちの側にあって女性のマグダラに結構冷たいのに対し、所謂「初めに言葉ありき」のヨハネ書がマグダラの目線に立って復活のイエスと彼女の会話を丁寧に描いていることが比較されている。これは改めて福音書毎の思想の違いを知るよいきっかけとなった。また外典トマス福音書やマリア福音書では、使徒マグダラとペテロとの主導権を巡る対立が映し出される描写もあり、彼女がイエスに心委ねるだけの女性ではなかった様子も浮かび上がってくる。

 脱線するんだけど、ペテロって奴はもともとへたれだと思ってたが、こういう側面を見ても何となく人間が狭い男だよなぁと思っちゃったりするんだよね。何で彼が第一使徒なんだろうなぁ...。

 とにかくこのような聖書に基づく前提をきちんと提示してくれているのは、マグダラ理解においてとても大切なことだと思う。

 そしてその前提から出発し、娼婦としての属性の付与(聖書の中にはマグダラが明確に娼婦であったと記されている箇所は無い)、罪からの悔悛というイメージが、時代とともに多様な解釈で変遷していく様子を、本書では主に芸術表現を通じて追っていく。それゆえ途中からはマグダラの実像に迫ることではなく、聖と俗を併せ持つアンビヴァレントな存在を巡るキリスト教倫理観の変遷史となる。新書でありながら、言及される芸術作品の図像資料がほぼ全て掲載されており、美術史としても非常に分かりやすくていい。初心者にはかなりいい本だと思う。