上橋菜穂子『獣の奏者』

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
リョザ神王国。闘蛇村に暮らす少女エリンの幸せな日々は、闘蛇を死なせた罪に問われた母との別れを境に一転する。母の不思議な指笛によって死地を逃れ、蜂飼いのジョウンに救われて九死に一生を得たエリンは、母と同じ獣ノ医術師を目指すが―。苦難に立ち向かう少女の物語が、いまここに幕を開ける。

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
カザルム学舎で獣ノ医術を学び始めたエリンは、傷ついた王獣の子リランに出会う。決して人に馴れない、また馴らしてはいけない聖なる獣・王獣と心を通わせあう術を見いだしてしまったエリンは、やがて王国の命運を左右する戦いに巻き込まれていく―。新たなる時代を刻む、日本ファンタジー界の金字塔。

 上橋作品は『守り人』シリーズを新潮文庫から既刊の6冊を読んでいるので、本作品も結構期待して読み始めたのだが、いやはや期待以上の面白さだった。『守り人』シリーズ同様、数ページ読むだけでぐいぐい作品世界に引き込まれてしまうのである。お陰で通勤電車内で読んでいて下車する際に中断するのが苦痛となり、結構厚めの2巻本であるにもかかわらず、週末に時間を忘れて読み切ってしまった。

 この作品は架空の世界を舞台にしたファンタジーだ。現実世界を前提とした日常に宇宙人や未来人や超能力者が現れる類ではなく、宇宙に生活圏を広げニュータイプモビルスーツに乗ってバトルを繰り広げる未来世界とも違う。飽くまで現代の私たちにとって、過去にも未来にも直結しない架空の世界である。にもかかわらず、一つ一つの描写が実にリアリティに充ちており、物語の情景と人の心の動きがありありと浮かんでくるのだ。もちろん実際には機械文明化以前の世界に架空の国や地理に置き換えているものなので、私たちの記憶に全く無いものを描いているわけではない。しかし、そうであるにもかかわらず、この架空世界の情景は想像に描かれる歴史世界以上にくっきりとした絵となって見えてくるのだ。だからこそアニメ化もしやすかったのだろうが(私はまだ見てないが)、本職がアボリジニを専門とした文化人類学者というだけあって、原初的な人間の社会形成と行動原理をよく理解しているからこそ書けるところもあるのだろう。これは『守り人』シリーズでも同じことが言える。

 それでも私には、『守り人』シリーズより本作品のほうが、更に物語世界へ入り込みやすかった。というのは、『守り人』シリーズでは現実とパラレルな異世界が存在し、そことの行き来によってある種のマジカルな能力が使えることになっているのだが、『獣の奏者』ではそれがない。主人公エリンの母方一族は魔力を持つ者とされているが、実際には習得すれば誰もが使いこなせる古の業を代々伝えてきたものである。そしてそれを一族の秘匿とされているところが、人間社会としての本作品の世界を形成する鍵ともなっていて、安易な一発逆転劇を生み出しえない深みを作り出しているのである。『守り人』シリーズと『獣の奏者』は似たような作品ではあるのだけど、リアリティの徹底さという意味で、個人的には後者のほうがより気に入ったわけだ(『守り人』シリーズもかなり好きだけどね)。

 まあ自称アニヲタ3級の自分は、決してマジカルな能力やミステリアスな世界観が嫌いなわけではなく、お約束としてきっちり設定されているものなら、そのお約束にポンと乗っかって楽しんでしまえる。しかし『獣の奏者』はファンタジーでありながら、リアリティから外れたお約束を設定せずにぐいぐい物語世界に引き込んでくれるので、本当に優れた作品だ。

 物語はこの2冊で一旦完結しており、作者自身も当初そのつもりだったとあとがきで書いている。しかし読者の想像に任せたラストだったこともあり、続編が強く望まれて、昨年単行本として出版された。お財布をけちることと本棚に並べた見た目を考えて、私としては早い文庫化を望むところである。