WUGの物語から多くの物語へ Wake Up, Girls! 新章 ― 最終話「明るいほうへ」

内容(公式サイト 各話あらすじより)
Wake Up, Girls!ツアーファイナル当日。
Vドル・マキナXは複数のスタジアムで、I-1clubはセンターの座を賭けて、
そしてWUGの呼びかけにより各地元アイドルたちが『Wake Up, Idols!』を
合言葉に、全国同時多発ライブが開催される。
ファイナルの前座を務めるRun Girls, Run!の緊張をほぐすため、
WUGメンバーはある行動に出る…!

 各話感想を書くつもりだったのに、11月に入って急遽忙しくなったせいで、筆が止まってしまった。中途半端なタイミングで再開しても上手く書けそうもなかったので、最終話を見終えた上で全体的な感想をば。

 監督の交代、キャラデザの変更、前作からの連続性への不安から、一定の批判的ファン層を抱えて始まったWUG新章。その連続性も踏まえ、新章のストーリーは私にとって「腑に落ちる」終わり方だった。

 もちろんストーリーのディテールについて各話感想を書いていたら、いろいろとツッコミどころはあった。それは前作も同じだが、前作は「もっと他の描き方はあっただろ」「それより他に描くべきところがあっただろ」というツッコミに対し、新章の場合、6話や10話(実質9話)など「もっと他の描き方はあっただろ」はあるが、「描くべきところ」に関しては、丁寧ではなくても、全12話という尺の中では一応やるだけやったかなと思う。

 前作からの連続性という観点で。まずWUGの7人は、それぞれ心の傷や自分への自信のなさ、欠点など抱えつつ、それぞれの「何か」を変えたいと思って集まってきた者同士だ。真夢、藍里の同級生組を除き、互いを知らぬまま集まった7人が、時に露悪的なほどの状況に直面して苦しみ、すれ違い、ぶつかり合いながら、徐々にお互いを知り、ユニットとしての結束を高めていく。

 一方で、軍隊的な規律とトレーニングにより、より精度の高いパフォーマンスでトップに君臨するI-1 Club。人間的な泥臭さという点で、WUGはI-1のアンチテーゼであり、「アイドルである前に人間です」というのが、前作WUGの大きな主題の一つであった。続劇場版でI-1のセンターであり、I-1の申し子のような存在だった岩崎志保を、世代交代を理由に福岡へ「都落ち」させたのは、I-1 Clubというアイドル=偶像の永遠性を維持するためであったが、そんなI-1に、恐らくファン投票を加味した「アイドルの祭典」でWUGが勝ったことで、I-1プロデューサー白木が、そしてその出資者「ダルマの老人」が描いていたその永遠性に綻びが生じる。

 これが前作で描かれた、新章の前提となるアイドル界の状況だ。新章から登場したヴァーチャルアイドル(Vドル)は、アイドルの永遠性を突き詰めた形といえ、ダルマの老人はそちらに乗り換えていく。
(ところで、ヴァーチャルアイドルというと初音ミクを想像するが、このVドルとは明らかに違う。初音ミクは事実上フリー素材として二次創作に開放されたため、ファンによって集合知的に個性を作られていったアイドルだからだ。)

 新章のWUGは、前作から新章開始までに当たる期間を地元仙台に根を下ろすことに集中し、アットホームな環境でユニットとしての仲を深めていた。しかし改めて全国へ打って出るには、前回東京進出で失敗し、やり残してきた宿題に直面することになるが、ユニットという信頼し合えるホームを築いたことで、個々のメンバーが自ら考え、刺激し合いながら個性を伸ばし、またユニットとしての力に還元できるようになる。そこには時に甘えも生じ、それゆえに誤解や喧嘩も起こるけど、それもまた他の誰かの助言や補い合いによって克服できる、真の仲間となっていく。

 また新章ではそれと同時に、WUGの外との影響関係も描かれる。WUGに憧れてアイドルを目指す中学生3人のRun Girls, Run。事務所がなくなって一度は解散したものの、WUGの地道な活動に刺激されて再活動する男鹿なまはげ―ず。真夢とのドラマ共演によって心動かされ、自ら考え選択するアイドルとなる志保。物語性という観点では、新章はWUG7人以上に志保の成長のほうがより印象に残るくらいだ。

 真夢と志保の関係から、吉川愛、七瀬佳乃も繋がり始める。佳乃は真夢の過去にあったI-1という巨人に無意識の壁を持っていたが、愛とライン交換出来る仲になって、その壁が失せていく。愛もまた、自立する真夢と志保、真夢を支えようとする佳乃の姿に刺激され、I-1新キャプテンとして「私たちは私たちに出来ることをやろう」とメンバーを鼓舞するようになる。

「アイドル界を変えるのは、Vドルでも僕でも、あなたでもない。」

 最終話で早坂が白木に語った言葉は、作中に時折描写された過去の早坂自身へ向けた批判でもある。WUGが互いに照らし合うことによって全国のアイドルを巻き込んでいったうねりは、早坂や白木、ひいてはダルマの老人の思惑をも越えて輝き出す。そんな全国のアイドルたちの輝きの前に、白木もまたダルマの老人の軛を断ち切り、一から這い上がるI-1 Clubの育成を覚悟する。新たなアイドルの祭典でI-1のシード枠を撤廃したのはそのためだ。I-1のセンターという地位に最も翻弄され苦しんだ萌歌も、その座を返上し、一から挑戦する覚悟を決める。そこではVドルもまた、個性あるアイドルの一つとなる。

 「This story is only the beginning!」

 最終話の最後に映ったホワイトボードに書かれたこの言葉、WUGが繋がりあったアイドルユニットたちの名前の下にある。WUGの物語は即ち、多くのアイドルたちの物語の序章に過ぎないということだ。新章では、「アイドルである前に人間です」という前作の主題に正面から取り組んだゆえに、WUGだけでない多くの物語の入口を示して最後の幕としたのである。私にとって「腑に落ちた」とはそういうことだ。

 今後続きがあったとしても、WUGが主役ではなく、RGRやその他ユニットのスピンオフになるんじゃないかと思うし、多分それでいい。

 なお、前作は震災復興支援もテーマに掲げていたから、「新章には思想がない」という批判もツイッター等で見かけた。だが第1話冒頭で「2017.03.13」という日付が示されたとおり、あいちゃん(永野愛理)が4thツアーで選んだ数字「313」が意味する、「311」から二歩進み、合計「7」人で新たに歩み出すところから物語が始まっている。だから前作が震災の苦境からタチアガる物語であったのに対し、新章がアイドル自身に集中して、東北から全国の一人ひとりへ明るさを届けていく方向に話をまとめたのは、前作の思想とは何も矛盾していない。

 一応最後に作画について。どう考えてもスケジュールがきつすぎた。その点は前作からまるで学んでない。BDでの描き直しよろしく。