「非当事者」による「当事者」の思いとの融合の試み ー 舞台劇『希薄』を観劇して

※この記事は敬称略で書かれてますが、そういうときはむしろいつも以上に敬意をもって書いてます。

 「ナナシノ( )」という俳優グループが企画する舞台劇『希薄』を観劇してきた。きっかけは何ということはない。Wake Up, Girls!吉岡茉祐が出演するということで、この公演を知ったのだ。もっとも、WUGメンバーが出ているからといってなんでも見に行くわけではなく、むしろメンバー単独出演の舞台を見たのはこれが初めて。東日本大震災がテーマということで、なんとなく見てみたいと思ったのである。あれから7年半を経たこの時期に描こうとするものは何なのか、ということになんとなく興味を覚えたのだ。

今思えば、あれを「他人事」と呼ぶのだろう。(『希薄」台本 P.2)

 観劇後に購入した舞台台本(※台本の売上の一部は震災復興支援の寄付金になるそうだ)は、脚本・演出の日野祥太による前書きから始まる。「あの頃、僕は辛い気持ちになった。フリ、をしていただけかもしれない。」と告白する日野は、震災の話に触れて辛い気持ちを抱く自分と、それでも結局いつもの日常を過ごす自分との間に、「他人事」としての居心地の悪さを感じていたのかもしれない。それは彼に限ったことではなく、恐らく津波に直接襲われた、あるいは大事な誰かを失った「当事者」以外の誰もが、心のどこかに感じている居心地の悪さではなかろうか。

 この舞台は、どこまでも「他人事」である「非当事者」が、様々な気持ちや記憶を負う「当事者」の思いに僅かでも融合するための試みなのだと思う。

 ちょっと脱線。「融合」という言葉を使ったのは、H.G.ガダマーの解釈学の概念「地平の融合(Horizontverschmelzung)」を意識しているため。自己の経験、知識、記憶に基づく理解の地平(自分が理解できる範囲)から他者のテキスト(他者が理解する文脈)に向かって自己を投げかけ、その他者との相違の解釈と再投企の繰り返しという循環を通して、自己と他者の理解の地平の融合を図る試みは、この舞台の試みとも重なる。

 公演場所のサンモールスタジオは、折りたたみ椅子による客席数110席程度の小さな劇場で、ステージも小さく、舞台と客席の境もないに等しい距離感だ。舞台は全てブルーシートに覆われており、足元は舞台から地続きの客席3列目まで敷き詰められている(自分はまさに3列目ほぼ中央で観劇)。ブルーシートは客席の側面も覆っており、演者と観客が同じ空間にいるという舞台演出がされている。情景を描く舞台装置は何もないため、劇中に描かれる光景は、海のメタファーであるブルー一色の中から演者と観客一人ひとりの心の中にのみ描かれることになる。即ち、自身の心の中にしかない光景を各々に共有することになるのである。

 公演が始まると同時に鳴り響く緊急地震速報。飛び出してきた主人公・巧は、客席に向かって「皆さん、地震です!地震です!頭を守ってください!早く!早く!」と真剣な顔で叫ぶ。始まったばかりで現実とフィクションとの切り分けがはっきりしていないため、観客側も一応付き合って頭を抱えるべきか迷う。ただ、巧の叫びが徐々に冷静さを失っていくことで、逆に傍観者としての観客の視点を取り戻すことになる。

 主人公・巧は、故郷・大槌町で一度は津波に飲まれ、九死に一生を得ている。今は東京でアルバイトをしつつ、冒頭の地震があるまである劇団の脚本・演出をしていた。だが2ヶ月前のその地震でトラウマが蘇り、筆を取れなくなっていた。

 また作品を書いてほしいと訪ねてきた劇団の女優・弥生に対し、巧は「いやー、逃げだったの、あれは。」と嘯く。震災を描いてきたのは、あれは演劇の中だけの虚構の世界だと言い聞かせるためだったと。しかし久しぶりに強い揺れを感じたとき、これは現実なんだ、だから逃げるのをやめたんだと語る。

 巧はまた、巧の命の恩人であり、西日本豪雨災害の復旧活動から戻る途中に彼を訪ねた自衛官・草一に対し、「(西日本災害を)他人事に感じちゃったんです。」とつぶやく。家族も知り合いもいないテレビの向こうの出来事を他人事と感じ、そんなテレビが流れる店で、酒を飲んで馬鹿笑いしている人々がいる。東日本のときも、みんなそうだったのかなと。

 「当事者」であるがゆえに、自分を襲った出来事から逃げられず、それは「現実」として記憶に貼り付く。だが一方で、ある出来事の「当事者」もまた、別の出来事では「非当事者」となり、その出来事は「他人事」になる。

 観客である私は、「非当事者」としての巧の「他人事」を共有するが、「当事者」である巧の「現実」は共有していない。ただ「非当事者」としての「他人事」を共有することで、巧との理解の地平の接点が生まれる。「非当事者」である自分も、7年半前の「当事者」でありえた可能性があると。

 「非当事者」の自分が「当事者」の「現実」へと自己を投げかけていくには、自己の理解の地平の内側にあるものからアプローチするしかない。この舞台でそのボールとなるのは、人と人との繋がりだ。家族や幼馴染、友人、知人であり、知己の関係性である。

 ただ、巧の東京での恋人・里奈のように、阪神大震災を経験した立場でボランティアとして東北の被災地に自己を投げ入れながら、「非当事者」なまま「当事者」である巧の兄・孝介から暴行され、東北の被災者全体への断絶を心に刻んでしまう人も存在する。孝介は自分が助かりたい一心で横目に映る人々を見捨てながら逃げたにもかかわらず、巧と同様に一度は津波に飲まれて九死に一生を得ていた。だが、巧以外の家族を失い、帰る家も失ったことで、罪悪感に苛まれる人物として描かれる。里奈への暴行も彼の弱さの表れだ。観客である私は、知人にこのような罪を犯した者がいないとしても、人としての「弱さ」を頼りに「当事者」の「現実」へと自己を投げかけていくことになる(もちろん理解することと罪を許すことは全く別物だ)。

 さて、ここまで触れずにいた重要人物がいる。巧の幼馴染であり、本作のヒロインである真理恵だ。実は冒頭の地震のシーンでも巧の傍らに現れ、一緒に客席に向かって呼びかけている。だが、話が進むに連れ、彼女が既にいないことが分かってくる。真理恵は足の悪い母を救おうと巧とともに家へ引き返したため、一緒に津波に飲まれてしまった。手を握っていたはずなのに、巧が海面へ飛び出たとき、その手に真理恵はいなかった。巧のトラウマは彼女を失い、自分だけ助かってしまったことにある。

 真理恵は巧とともに津波に飲まれる「当事者」としての「現実」を共有しながら、巧のその後の人生には存在しない「非当事者」だ。しかし巧の心に刻まれる形で見守り続ける、見えない「当事者」でもある。巧が草一に誘われる形で大槌に戻ったあと、もう帰れる場所ではない町に弟が戻ってしまったことに絶望してか、孝一が自殺する。その報を受けたショックで巧は失明してしまうが、目が見えなくなったことで、巧の前に姿を現す真理恵。二人の会話は恐らくかつて交わされていた日常のままのノリなのであろう。真理恵の妹・未来が、姉が見えぬまま二人の前で、あの日母を見捨ててしまった罪を告白する場面や、真理恵が自分から巧の手を離してしまったことを非難する巧との会話では、客席からすすり泣く声が多かった。巧と真理恵の他愛もないやり取りに、自分と変わらない日常の関係性を感じていたからなのだろう。そこに関わっていたのは自分だったかもしれないという「当事者」性への共感。大切な人を助けられなかった自分、見捨てざるをえなかった自分、助けるために自分を犠牲にした自分。予期せぬ災害は日常の延長線上に起こっていた。あの日大切な誰かを失っていたのは自分かもしれないと。

 とはいえ、ここで感じた「思いの融合」は、やはり日野が感じた「フリ」に過ぎないのかもしれない。自殺する孝介が独白した「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれた方が嬉しいよ。」という言葉のほうが、理解しやすいのかもしれない。そもそも巧のバイト先の後輩・良巳のように、とことん「非当事者」として振る舞っている方が、自分に嘘がないとも言える。

 しかしそれでも、「非当事者」が自分の理解の地平を「当事者」の思いと融合させようという試みは、人と人との関係性の中で生きていく者にとっては無駄ではないだろう。この試みが観客それぞれの中で成功したかは、各々の内面に委ねられることになるが。

 ここまで演出・脚本の日野祥太の試みを観客の立場で試してみたわけだが、実は最もこの試みに取り組んだのは演者たちに他ならない。巧役の植田恭平は、この舞台に上がるまでどれだけ巧との対話を積み重ねたことだろう。巧の辛さ、悲しみ、苦しみ、そして愛情を全身で演じていた。彼の熱演なくして日野の試みは成立しない。それはもちろん他の演者も同様だ。水原ゆきが演じる真理恵の可憐さ、優しさ、無邪気さ、そして悲しみが、大切な人のまさに「大切さ」を見るものに伝えてくれた。孝介役の宮原奨伍も、突き離してしまうだけではいけない人の弱さへの共感を導き出す難しい演技だったと思う。未来役の吉岡茉祐も、本当は「強い」なんて言われたくない強さと罪悪感との間という難しい感情を、未来に寄り添って演じていた。みなさん、素晴らしかった。

 そして、巧の友人・春人役として、「当事者」と「非当事者」の狭間のようなポジションを演じていた日野祥太には、いずれブログでも構わないので、この舞台での試みに対する自分なりの結果なり感想を読ませていただければ嬉しい。

 最後に一応ワグナーとして。まゆしぃには、孝介から突き離された言葉を投げつけられた「復興支援する芸能人」として、『言の葉 青葉』で「がんばってねと簡単に言えないよ」と歌ってきた一人として、その思いを聞いてみたい。