ソ・ラ・ノ・ヲ・ト ― 第4話「梅雨ノ空・玻璃ノ虹」

内容(公式サイト 各話あらすじより)
今日のカナタの任務は、街へ出て物資を調達してくること。
カナタは渡された購入品リストを持って、
ノエルの運転するジープに乗り込みます。
見るものすべてが新鮮なカナタの疑問に、きちんと正しく答えてくれるノエル。
だけれどそんなノエルにも、
なかなか解けない問題はあって――。

 先にツッコミを入れておくと、
 カナタのラッパ、いきなり上手くなりすぎだろ!
 どん詰まってた音が抜けた音になるとかなら分かるが、ちょっとヒントをもらっただけでメロディーまですっきりこなしちゃうのはさすがに引いた。上手い演奏を見せるのは次回でも十分だったと思うだけに、折角丹念に話を作っている作品なのだから、こういうところで横着してもらいたくなかったな。あとノエルがボクっ娘だったのも、なんか不要なキャラ付けだったと思う。

 さて、今回もまたこの世界を描くパズルのピースがいくつか埋められた。まずこの世界の海にはもう生物がいないこと。セカンドインパクト級の大異変である。それから長閑に見えるセーズの街にも戦災孤児軍需産業としてガラス工房が拡大したことなど、戦争の影が投げかけられていることが示唆される。それゆえカナタとノエルも軍人である現実に向き合わされる。またカナタには知らされていないが、第1121小隊もまた何かの「出荷」というものを通じ、軍としてのある役割を担っていることが暗示された。この他、ガラス工房の聖母子像の丸窓が何度か印象的に映し出されたことは、一応頭に留めておいた方がよいのだと思う。前回も触れたように宗教がマジカルな力を発揮する展開にはならないと考えられるが、信仰もまた人の心が形成する力であり、社会を成す土台の一つとなるものだ。もちろん宗教とは非常にセンシティヴなテーマだけに、いっそマジカルパワーに結び付けてしまったほうがアニメ的には扱いやすいだろう。だがここでは社会的存在としての宗教がどう描かれていくかに、実は結構注目している。

 人物たちについて。上述したように、今回は軍人としての自分たちに向き合う回になった。ゆるゆるの第1121小隊であっても、軍隊である以上血生臭い属性は彼女たちに付いて回る。カナタは当然として、他のメンバーも恐らく実戦経験がなさそうであり、それゆえいつか自分も誰かに銃口を向ける日が来るかもしれない。特に今回はノエルが、機械を愛し真剣に向き合う職人であるだけに、タケミカヅチが人の命を奪ってきた、またこれから奪うかもしれない可能性に、実は密かに苦しんでいた姿が描かれた。それに対しカナタはノエルの手を握り、「もっと怖いのは、その機械を使ってた人たち」と言う。無論この類の台詞は取り立てて新しいものではなく、また軍隊である以上、正直なところあまり現実的な言葉ではない。ただこの回では、前半にもカナタがノエルの手を(如何にもこの後の複線ですよと言わんばかりに)握って擦る場面があり、同時に戦災孤児のセイヤにノエルがピシャリと手を弾かれる場面もある。即ち、直に伝わる手の感触が人の温かみにも痛みにもなることを、ノエルは既に意識させられているのである。そこで改めて握られたカナタの手の温もり。タケミカヅチを良い戦車にも悪い戦車にするのも人の手、つまり自分次第とノエルは気付く。ラストの場面もノエルに抱きつくカナタの手がアップだ。この回では上のカナタの言葉以上に、手が伝える感触によって、人としての彼女たちの在り方が描かれたのだと思う。

〔追記〕
 id:tokigawaさんの記事を読んだら、ちょっといきなりでもカナタが上手くラッパを吹いてしまうのは、場面演出としてはありなのかなと思った。
 http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20100126/p1
 手についての解釈は私のよりずっと丁寧に書かれていて、とてもすっきり。