ソ・ラ・ノ・ヲ・ト ― 最終話「蒼穹ニ響ケ」

内容(公式サイト 各話あらすじより)
敵国の兵士を匿ったことで、反逆の罪に問われたカナタたち。
しかしそれでもカナタたちは、自分たちが正しいと信じる道へと進みます。
両軍が睨みあい、開戦間近の緊張した空気が漂う国境付近。
開戦を阻止するため、小隊メンバーが取った行動とは――!

 このアニメはジグソーパズルのピースを埋めていくように見るものだと、このブログでは度々述べてきた。起承転結のある一筋の展開ではなく、一見ばらばらのようなエピソードを描きながら、話が進むうちにそれらが互いに繋がり合い、一つの大きな絵が完成していく。実際そのように全体の3分の2を過ぎたくらいから話の繋がりがいろいろと見えてきた。しかし前話で、ローマ帝国側の伝承の存在という新たなピースが加わったことにより、今まで繋ぎ合わせてきた解釈がやや不確かになる。そして最終話、その伝承の内容が明かされた瞬間、ジグソーパズルはオセロとなってパタパタと色彩を引っくり返した。いや、もともと予定調和な最終場面がそのとおりに描かれたのだけど、実はこれまでのイメージ、つまりヘルヴェチア側だけで紡がれていた話では、手前側だけの予定調和になってしまうところを、最後にオセロを引っくり返したことで、ローマ側をも含めた予定調和となったのである。

 「戦争」、「軍隊」、この設定は第1話において「休戦から半年」と語られたことにより、長閑な辺境の町を舞台としたこの作品の中では当初遠い話のように感じられ、実際しばらくは何のためにそんな設定が必要なのかと思えるくらい、一見ほのぼのと登場人物たちの心の機微が描かれていた。しかし第4話におけるノエルの軍人であることへの問いは、このとき既に彼女の重い過去を示唆していたのであり、彼女にとって戦争が遠い彼岸の話ではないことが最終局面で明らかになった。またフィリシアは戦場の生き残りであり、クレハの父は軍人で、既に両親ともに亡くしている。リオは皇族との関係が見え始めた辺りから、戦時下の国の運命を担う存在であることが見えてきた。戦争から遠いところにいたのは、実はカナタだけだったのである。「ステキ、ステキ!」と何でも明るく前向きなカナタの存在が、残るメンバーや教会の孤児たちも含めたこの物語が抱える重苦しさの密かな進行を、一人一人の個としての人間のストーリーに転換し、優しくほのぼのとしたテイストを作品に与え続けてきた。だから第11話のホプキンス大佐の登場とローマ軍の進攻は、一見非常に唐突な展開に感じられるわけだが、しかしリオの葛藤や第7話で見えたフィリシアの決意から、このような危急な事態が最後にやってくるであろうことは誰もがどことなく予想していたはずである。

 またアメイジング・グレイスが最終的に人々を繋ぐ曲になることは、イリアからリオ、カナタ、またフィリシアへと繋がっていたことから十分予測の範囲であった。それゆえ第11話でアーイシャがこの曲を知っていたことは、半ばお約束の展開である。皇族としての役割を担うために砦を去ったリオが和解の使者として戻ってきて、その際アメイジング・グレイスが流れていることも予想していたことである。それゆえ「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の最終話は、大枠としては予定調和な話だったといえる。

 しかしアメイジング・グレイスが単に「音は響く。そして繋がる。」象徴として和解を演出しただけなら、使い古されたお気楽なデカルチャーで終わり、ここまで丁寧に描かれてきた登場人物たちの心は、あっさり置き去りにされてしまうものになっていただろう。いい話だったけど、思いのほか後に残らない作品になってしまうところだった。

 だが、この最終回のクライマックスは、実は「炎の乙女」のローマ側での伝承を知り、1121小隊の娘たちがタケミカヅチで出陣した場面である。

 ヘルヴェチアに残る伝承では、砦の乙女たちは人を滅ぼす悪魔からセーズの町を守ったことになっている。彼女たちは「巨大な蜘蛛」、即ちタケミカズチの力を借りて、人が住む世界を守る盾となって死んだのである。しかしそれでは、敵と味方の関係は変わらず、角笛の音は響いても悪魔とは繋がらない。だがローマの伝承では、砦の乙女たちは「命を守る」者たちであった。人間に罰を下すために舞い降りた天使であっても、傷つき疲れ果てている姿を見て、彼女たちは守ったのである。人々が天使に炎を投げ殺そうとしたとき、たとえ味方である者たちを裏切ることになっても、乙女たちは敵の命を奪うより守るために命を懸けた。だからこそ最後の乙女が鳴らした角笛の音は、あとから現れた天使の大群を留めることができた。

 カナタはローマ側の伝承を「うん、なんか納得できたんだ。」と受け止め、微かに聞こえたリオからの停戦信号の音を戦場へ伝えるために「行きましょう」と皆を促す。ノエルは自ら復活させた旧時代の生物兵器プラントによって大量のローマ人の殺戮に手を貸してしまったことに苦しんでいたが、その苦しむ姿にアーイシャが許しを与え、また「奪った以上の命を救ってください」というユミナの言葉にも心動かされ、自ら復活させた旧時代の技術の結晶タケミカヅチを起動させる。自分を押し殺して軍の理性を敢えて演じていたクレハも、本当は誰も傷つけたくないという真の気持ちを明かして皆と共にゆく覚悟を決める。そしてフィリシアは、かつて散った仲間たちの隊長の言葉と同じく「行くわよ!わたしのあなたたち!」と出陣の指令を出す。

 「音は響く。そして繋がる。」、だが響く音には意思が必要であり、だからこそ繋がる。出陣を決意したとき、1121小隊の乙女たち自身が伝説の炎の乙女たちとなった。この瞬間に、これまでどこか影に染まった色で埋められてきたピースが、オセロの白面へパタパタと引っくり返るように輝きだした。この物語の感動はまさしくここにある。だからこそカナタが奏でたアメイジング・グレイスも、より感動的に戦場に響き、対峙し合う両軍の心に繋がったのである。そこでリオが現れ講和を決定付ける場面はまさに予定調和なシナリオなのだが、1121小隊の乙女たちが敵味方を超えて命を守る行動を取ったからこそ、リオ自身が選んだ役割も茶番にならない意味を持ったといえるだろう。

 上にも書いたとおり、主要な登場人物の中で戦争と全く触れていなかったのはカナタだけだ。彼女の「ステキ」は影を背負った世界に明るい日常があることを気付かせるマジックワードとなっていた。世界は終わりに近づいているといわれる重苦しい世界でも、あるいはだからこそ、カナタが象徴するステキな日常は、何よりも守るべきものということなのだろう。物語を通じたほのぼのテイストは、それこそ守るべき大切なものとして一貫して描かれ、たとえ暗い空気を落とした回でも、「愛情〜友情〜♪」と流れ出す明るいEDによって、視聴者をほのぼの感覚に引き戻したのだろう。このEDはそれゆえに「雰囲気ぶち壊し」としてネット界隈の評判はよろしくなかったようだが、自分はこれでよかったのだと思っている。

 斯様に自分はこのアニメを楽しませてもらえ、かなり絶賛した感想を書いてしまったが、別に全く不満がなかったわけではない。とりわけ急展開となった最後の2話は、やはりもう1話分くらい使ってもう少し濃くしてもらいたかった。特にアーイシャについてはもう少し個人を掘り下げてくれてよかったと思う。ユミナがローマの伝承を語る場面でアーイシャが天使の象徴に描かれたわけだし、彼女個人が物語に持つ意義をもう少し深めてほしかったなと。それはホプキンス大佐についても言える。彼は結果として単なる悪役になっているが、忘れられた旧時代の文明を取り戻したいという考えは、ある意味普通であると思うし、それゆえにその考えの危うさをもう少し描いて欲しかった。もっともその部分はノエルが象徴してると言ってしまえばそれまでなのだが、飽くまでその考えに正直な人間に沿った描かれ方があればよかったかなと。

 あと、不満というか、結局謎のまま残ってしまったものもある。翼の悪魔、あるいは天使の正体だ。この世界では通信技術が衰えてしまったせいで、文化間の情報交換がかなり希薄になってしまっている。「炎の乙女」の伝説も、結果としてローマ側の伝承が物語を動かしたに過ぎず、実はどちらが正しいとも、また実態がどうであったかも描かれていない。化石が描かれているから、「未来少年コナン」のギガントのような巨大戦闘機のメタファーというわけでもない。仮に続編をやってくれることになれば、そういった過去を掘り下げていくような話になればいいかな。

 というわけで、結局全話感想を書いてしまった。この後BD/DVDでオリジナルストーリーが加えられるけど、最終話のあとに付いてくるのも話の根幹を動かすようなものでなく、またほのぼの日常に戻るんじゃないかと思っている。一応ここまで嵌ったので、本作品はTVシリーズもので初めてBDで買い集めるアニメとなり、昨日記念すべき第1巻もAmazonから届いた。オリスト回のBDが出たときは、また感想書くと思います。